怒鳴るのも表現の自由
精神的苦痛の原因は、それを感じる者自身の固定観念。よって仮に怒鳴られた側が精神的に病んでも、自業自得・自己責任だ。ラーメン店主に、客の「憤慨や萎縮の原因」はない。
同様に、店主の「イライラや迷惑の原因」も客には一切ない。当然、怒鳴り散らして客が減っても身から出た錆である。
そもそも、怒りは一時の狂気。怒る行為は、行為者が自らの無知・無教養を晒しているに過ぎない。
仮に怒鳴られる側にどれほどの非や落ち度があっても、「相手のイライラら怒りの原因」はない。何故なら、怒って怒鳴る選択をしているのは、怒る人自身だからだ。
従って、怒られた側が自己否定感を募らせる理由もない。
以下、弊サイトより抜粋。
同じ原因は常に同じ結果を生む。時に結果が異なるなら、それは原因ではなく主観的な理由や動機条件言訳口実根拠切欠発端相関。
経緯はどうあれ加害なくば被害なし。加害の原因は常に加害者の精神的未熟。被害者の非や落度過失欠陥問題は原因に非ず。
例えば「何度転校しても虐められるのは被害者にも原因が」は偽。原因は各校の加害者の精神的未熟。被害者に苛めの原因はない。
原因ではない表層的事象の解消は偽善・自己欺瞞。根本的解決にならない。故に、仮に貧困を無くしても富豪が罪を犯す。
感情を含むあらゆる体験の根本原因は体験者自身の固定観念自分ルール思い込み先入観。それが変わらない限り似た体験を繰り返す。
肉体的苦痛の原因は加害者でも、精神的苦痛の原因は被害者本人の固定観念。複数ある個別の因果を混同する限り苦悩は止まない。
執着するほど感情も強まる。新たな体験に必要なのは新たな知見。諸問題解決に、学校では教えない感情自己責任論を。
人に歴史あり。同遺伝子同環境で同経験を経れば誰もが同タイミングで同じ過ちを犯す。その想像力がない者ほど当事者を非難。
被害者にしか共感できない偽善者ほど加害者を同属嫌悪し「厳罰すれば解決する報復できる許せる償える」と正義面・自己欺瞞。
どんな情報もその取捨対処は受信者の自由。解釈の自由にも責任が伴う。解釈の結果(誤解不快等)の原因は発信者にはない。
未熟な解釈者ほど己の選択結果を表現者に責任転嫁。他者に不自由(規制等)を与えるから自らも不自由(怒り等)を得る。
感情自己責任論(解釈の自由と責任)~学校では教えない合理主義哲学~ http://kanjo.g1.xrea.com/
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?