「怖い警察」は犯罪を抑止しない

怖い父親の前では兄は弟を虐めないし、怖い教師の前では生徒はタバコを吸わない。つまり「怖い人の存在」は「犯罪や悪事の時と場所を変える効果」があるだけで、抑止はしない。
だが犯罪者心理に疎く「一時的表面的に見えなくなれば解決」と短絡する人々は、下記のように「怖い警察」を擁護する。
一つ一つ反論してみよう。

>《何がダメなん?三重県警は不良を丁寧に扱わなあかんの?》

記事に不良とは書いてないが、それはさておき。
寧ろ、日頃丁寧に扱わ(愛を与えら)れていないからこそ子供は不良になるのだから、不良をこそ丁寧に扱うべきである。不良なら乱暴に扱って良いという不良差別は、ますます性格を歪ませる。

>《生意気な逃げたクソガキ押さえ付けて何が悪いんだよ、このお巡りさん、良くやった!》

記事通りなら、不適切だったのは「威圧的態度」であって「押さえ付け」ではない。また「生意気なこと」「クソガキであること」は押さえ付けて良い理由にならない。

>《巡査の行為は適切やろ。こんなことで本部長注意が入るんであれば、三重県警なめられるよ・・・》

ノーヘルや2人乗りを注意するのに威圧は必要ないので、不適切である。
必要なのは「怖がられること」ではなく「尊敬されること」。威圧するしか能のない大人こそ、舐められる。

>《現場が萎縮するような幹部がいる三重県警が情けない》

威圧(テロ・恐怖支配)は治安維持に必要ないどころか害悪なので、威圧を是とする警察官は寧ろ萎縮・自粛した方が良い。

>調子に乗ってる者に、一喝を入れるのが「怖い警察官」であってもいいじゃないですか! 命張ってるんです、その人が事故に合わないように、二次被害がないように熱くなっているんです。

威圧し追い掛ければ、却って事故を誘発し二次被害を生む。また、反発心を生じさせ、警察の目の届かない場所で調子に乗るようになる(事故が起こる場所が変わる)だけ。事故の未然防止に必要なのは、恐怖支配ではなく傾聴・教育・啓蒙。
命を張っていることは威圧して良い理由にならない。


以下、弊サイトより抜粋。

犯罪者予備軍や人格障害者ら心を病んだ不幸者無教養者は皆いわば一次被害者。彼らを救済しないから二次被害が発生。
被害者にしか共感できない偽善者ほど加害者を同属嫌悪し「厳罰すれば解決する報復できる許せる償える」と正義面・自己欺瞞。

人に歴史あり。同遺伝子同環境で同経験を経れば誰もが同タイミングで同じ過ちを犯す。その想像力がない者ほど当事者を非難。
低水準教育の犠牲者に必要なのは憎しみ(情報遮断・処罰・排除・放置)ではなく愛(情報共有・高水準教育・精神治療・救済)。

加害者の人権すら保障できずに被害者の人権保障は不可。「人権派は被害者軽視」は加害者軽視な反人権派の自己投影。
「被害者の人権こそ大事」は言わずもがな。その当たり前を殊更強調し善人アピール正義面するのが厳罰主義者の偽善欺瞞。

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