人格障害者にも表現の自由はある4

 「情報操作」も「フェイクニュース」も言論・表現の自由。Dappiは、実際には小西洋之議員や杉尾秀哉議員の名誉など全く傷付けてはいない。単に己の都合の良い情報を集めて妄想と憶測を吐露し、自らのメディアリテラシーの低さ・精神的未熟性・節操の無さを公開して「自身の歪んだ政治思想」を世間に晒したに過ぎない。
 つまり実態は「アホがアホを寄せ集め自分たちの偏見・無教養を露呈し、自身の名誉を棄損した」のである。アホが17万人いようが170万人いようが、アホであることに変わりはない。良識ある人々は、彼らを見て「ネトウヨに絡まれて小西さんも杉尾さんもお気の毒に(˘・ω・˘)」と思うだけだ。元より虚構と事実の区別がつかない戯け者の戯れ言に他者の名誉を棄損する力はないし、そもそも精神的に傷付く原因は情報発信者には無い(論拠詳細は感情自己責任論)。

 門田隆将氏が述べた「近財職員は杉尾秀哉や小西洋之が1時間吊るしあげた翌日に自殺」を「吊し上げが自殺の原因」と短絡するのは前後即因果の誤謬だが、その詭弁に気付かないアホがいたとしても仕方がない。彼らが施された低水準教育の結実だ。中にはこの論理飛躍を真に受けて自民党へ投票した者もいたかも知れないが、誤解や錯誤も含めて主権者の判断だ。有権者自身のリテラシーが低いうちは政治の質も落ち悪政が蔓延るのは、民主主義の常道である。
 仮にDappiのツイート等を真に受けた暴漢に襲われるなどして両議員が”物理的な実害”が生じたとしても、それも「襲撃者自身の情報分析力や自制心の欠如」の問題である。そこで初めて「一部情報を鵜呑みにするのは内心の自由だが、他人の身体の自由を侵害するのは論外・違法」となる。
 勿論、再発防止のために裁判に訴えるのも表現の自由だが、ネトウヨも低水準教育の犠牲者。彼らに真に必要なのは「処罰・非難」ではなく「高水準教育・精神治療」である。表現狩り・言葉狩りによって精神疾患者の口を封じたところで、問題の根本原因である彼らの無知や妄執や情緒不安は放置されたままだし、彼らが受けた低水準教育が改善されることもない

 ともあれ今回の裁判には、トンデモ右翼思想に被れたネット上の自称保守・自称愛国者を多少は鎮静化させる効果はあるのかも知れない。だがこれまで他人への誹謗・揶揄・風刺などで解消されていた彼らネトウヨの劣等感やストレスは、今後一体どこへ向かうだろう。「自分に向かう中傷さえ見えなくなれば良い」という臭い物に蓋式のエゴイズムの盾によって人格障害者の表現の自由を奪えば、ガス抜きや捌け口の機会を失ったその矛先が、ますます陰湿巧妙な工作活動や不正やヘイトクライム等となって、裁判を起こす知力も気力も財力もない、より弱い者へ向かわない保証はない
 論拠詳細は今後別記する予定だが、結局のところ情報規制は偽善者の自己満足だ。

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