客を差別するのは営業の自由

>営利企業が利益をあげるために女性を優遇して男性を差別するのをOKだよね、となると、“女性の給料低くていいよね、女性は出世させなくていいよね”だって営利企業の判断だから、ってなっちゃう。だからどんな差別でもなくすべきである

とは、ひろゆき氏の主張だが、「同じ仕事能力で性差を設けるのは不合理な差別」でも、本件の場合「食事の消費能力が一般的に女性が男性の半分」なので一定の合理性があり、同席した社会学者の瀬知氏が言う通り、社会的に許容されるべき性差別だ。

そもそも営利活動自体が常に、支払い能力のある金持ちを優遇し貧乏人を差別する行為。経済格差は無視して性別格差だけ論うのは、チェリーピッキングとも言える。

自身の非論理性に気付かない彼もまた低水準教育の犠牲者。
義務教育で哲学や心理学を教えないから、先見力協調性適応力自制心倫理観論理力EQ各種リテラシー問題解決力等が低くなる。

以下、弊サイトより抜粋。

反差別の裏には差別心が潜む。例えば異属性間の収入格差を論うのは「高給者ほど偉い尊い」等の職業差別拝金主義の表れ。
同じ人間なのだから属性の区別比較も必要ない。下駄履かせは逆差別で偽善。追求すべきは結果平等ではなく機会平等。

差別も反差別も規制も反規制も多様性、表現の自由、程度問題。差別者差別も差別、その不寛容に不寛容なのも不寛容。
差別を批判する人ほど差別している5 note.com/kanjoj/n/n1a0fcd14f9b8

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