人格障害者にも表現の自由はある3
「差別的発言」も「悪口」も言論・表現の自由。被告の2人は、実際には安田菜津紀氏や彼女の父親の名誉など全く傷付けてはいない。単に己の妄想と憶測を吐露し、自らの人権概念の低さ・精神的未熟性・節操の無さを公開して「自身の歪んだ差別意識」を世間に晒したに過ぎない。
つまり実態は「アホが自分たちの偏見・無教養を露呈し、自身の名誉を棄損した」に過ぎない。良識ある人々は、彼らを見て「ネトウヨに絡まれて安田さんもお気の毒に(˘・ω・˘)」と思うだけだ。彼女は彼らの言葉に傷付いたと言っているが、「心の病気が言わせる病人の戯言」を真に受ける必要ないし、そもそも精神的に傷付く原因は発言者には無い(論拠詳細は感情自己責任論)。
仮に実際に安田氏が直に襲われるなどして”物理的な実害”が生じたとしても、それは「トンデモ右翼思想を妄信し襲撃した者の情報分析力や自制心の欠如」の問題である。そこで初めて「一部のイデオロギーを鵜呑みにするのは内心の自由だが、それを他人の身体の自由を侵害する具体的な違法行為に移すことは論外」などと訴えれば良い。SNS上でのネットストーキングだけであれば、相手の発言を非表示にすれば目にしなくて済む。
勿論、再発防止のために彼らを訴えるのも表現の自由だが、彼らも低水準教育の犠牲者。真に必要なのは「処罰・非難」ではなく「高水準教育・精神治療」である。表現狩り・言葉狩りによって精神疾患者の口を封じたところで、問題の根本原因である彼らの無知や低レベルな人権意識は改善しないし、その妄執や情緒不安は放置されたままだ。
ともあれ今回の裁判には、トンデモ右翼思想に被れたネット上の差別主義者・排外主義者を多少は鎮静化させる効果はあるのかも知れない。だがこれまで他人への誹謗中傷・揶揄・風刺・罵詈雑言などで解消されていた彼らネトウヨの不満やストレスや劣等感や鬱憤は、今後一体どこへ向かうだろう。「自分に向かう中傷さえ見えなくなれば良い」という臭い物に蓋式のエゴイズムの盾によって人格障害者の表現の自由を奪えば、ガス抜きや捌け口の機会を失ったその矛先が、恫喝やパワハラや嫌がらせやヘイトスピーチ等となって、裁判を起こす知力も気力も財力もない、より弱い者へ向かわない保証はない。
論拠詳細は今後別記する予定だが、結局のところ情報規制は偽善者の自己満足だ。
参考:トンデモ右翼思想によくある論調と特徴http://kanjo.g1.xrea.com/mindo.htm#4