吃音いじりも表現の自由

>《東大生の番組面白いなと見ていたけど、吃音を笑いにするのはいただけんな》

「全ての笑いは嘲笑」ではない。
吃音を笑えないのは、裏を返せばその人自身の心底に、吃音者に対する差別・偏見がある証拠だ。「吃音は(笑われても仕方のない)恥ずべき行為(状態)だ」等の固定観念と「差別はすべきでない」という固定観念とが認知的不協和を起こし、その矛盾が嫌悪となって表れているに過ぎない。

>『さんまの東大方程式』については、以前から『東大生を変人扱いしている』といった具合に、東大OBなどから批判があがっていた

「変人を変人扱いしている」が正しい。一部を全部に拡大解釈するのは論点摩り替えの一種である。

心理学に疎く論理的思考力の乏しい彼らもまた、低水準教育の犠牲者。
義務教育で哲学や心理学を教えないから、先見力協調性適応力自制心倫理観論理力EQ各種リテラシー問題解決力等が低くなる。

因みに、いじりではなくいじめであったとしても、「吃音を馬鹿にし蔑視し嘲笑う」という(精神的)処遇は表現・言論の自由の範疇。嘲笑等による不快感は、自業自得・自己責任である(吃音を理由とした不合理な(身体的)処遇は人権侵害であり表現の自由ではない。論拠詳細は幣サイト)。


以下、弊サイトより抜粋。

あらゆる社会問題に共通する根本原因は無知思い込み勘違い誤解視野狭窄。解決に必要なのは適切十分な高水準教育(≠高学歴)。
高水準教育≠高学歴。低水準教育下では幾ら高IQ高学歴でも情報分析力・批判的思考力・柔軟性・想像力等の低い人格に育つ。

どんな情報もその取捨対処は受信者の自由。解釈の自由にも責任が伴う。解釈の結果(誤解不快等)の原因は発信者にはない。
未熟な解釈者ほど己の選択結果を表現者に責任転嫁。他者に不自由(規制等)を与えるから自らも不自由(怒り等)を得る。

怒りは一過性の人格障害。酩酊は意識障害。乳児は皆、重度障害。母国語しか話せないのは他言語障害。IQ200以下は知的障害。
差別虐め犯罪は行為障害・適応障害。空飛べないのは飛行障害。障害は全て個性、程度問題、社会の未成熟・機能不全の表れ。

犯罪者予備軍や人格障害者ら心を病んだ不幸者無教養者は皆いわば一次被害者。彼らを救済しないから二次被害が発生。
被害者にしか共感できない偽善者ほど加害者を同属嫌悪し「厳罰すれば解決する報復できる許せる償える」と正義面・自己欺瞞。

反差別の裏には差別心が潜む。例えば異属性間の収入格差を論うのは「高給者ほど偉い尊い」等の職業差別拝金主義の表れ。
同じ人間なのだから属性の区別比較も必要ない。下駄履かせは逆差別で偽善。追求すべきは結果平等ではなく機会平等。

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