「シャブ漬け」発言を批判する偽善者

>伊東氏は「生娘をシャブ漬け戦略」と笑いながら複数回発言。「田舎から出てきた右も左も分からない女の子を無垢・生娘のうちに牛丼中毒にする。男に高い飯を奢ってもらえるようになれば、(牛丼は)絶対食べない」と話していた

この↑伊東氏の発言に抗議した受講生の言い分が、これ↓。

>酷い性差別であるのはもちろん、覚醒剤で苦しんでいる人もいるのに、冗談にして笑って話して良いことだとは思えません。

確かに「シャブ漬け」という単語は禍々しい。マーケティングを犯罪にたとえるのも不謹慎だ。もし伊東氏が「対象が女性だからこそシャブ漬けと表現した」というのであれば、性差別に当たる可能性はある。
だが彼の発言は、吉野家が若い女性から敬遠されているという統計的事実に沿ったもの。あくまで「モノのたとえ」であり、「そもそも食べ物は全て麻薬のようなもの」という事実を踏まえたブラックジョークだ。表現の自由である。伊東氏が麻薬による洗脳や拉致・監禁や人身売買を肯定している訳ではあるまい。

シャブ漬けの被害者は女性に限らないので、仮に吉野家が男性に不人気だったとしても比喩は変わらない。その場合の伊東氏のシャブ漬け対象が男性であったとしても同様に「酷い性差別だ」と感じるなら、この受講生の主張に矛盾はない。だがそうでないなら、それはその人自身が(自覚なく)性差別をしている証拠である。

「苦しんでいる人もいるから」ネタにすべきでないなら、借金や離婚や暴力や学業不振やハゲや病気や障害を題材にした冗句も言えないということになる。
確かに、当事者にとっては笑えないだろうし時には不快を覚えるだろう(妻の容姿を弄られキレた俳優のように)。だがそもそも解釈の原因はそれを感じる人自身が持つ固定観念。受信者・解釈者が己の解釈の結果(不快等)を発言者・表現者のせいにするのは責任転嫁である(論拠詳細は弊サイトをご参照)。
恐らくこの受講生は、真面目で正義感が強く思いやりもあり感受性も高いのだろう。苦しんでいる人の方に共感してしまうので、聞き流せなかったのかも知れない。
だが「快く思わない人もいるから笑いにするな」という主張は、典型的な言葉狩り・表現狩りであり偽善者の自己欺瞞だ。この手の同情的な言葉の裏には往々にして、薬物中毒者を「憐憫すべき哀れな弱者」と見做す差別意識がある。他の反差別主義者同様、伊東氏の言葉が「自分では見たくない自身の醜い偏見・蔑視(即ち認知的不協和)を呼び起こす」から、居心地の悪さを感じるのだ。そして「不快に感じる自分」を「薬物中毒者」に投影しているに過ぎない。

>男性客に対しても『家に居場所のない人が何度も来店する』という趣旨の発言がありました。

「家に居場所がない男性が何度も来店」も統計的事実だろう。それを公にする事は何の問題もない。この発言を問題視するのは、問題視するその人自身が「家に居場所がない人」を心のどこかで蔑視していることの裏返しである。
仮に伊東氏がそのような男性を小馬鹿にするような態度を取ったとしても、表現の自由の範疇。その結果、客が減り株価が下がったとしても自己責任・自業自得だ。

>社会にも企業にも学校にも、当たり前に年齢も性別もバックグラウンドも多様な人がいます。けれどこうした偏った発言の1つ1つが、日本社会から多様性を排除していると思います。

伊東氏のバックグラウンドを考えずキャンセルカルチャーという名の排斥主義に加担するこの受講生にも、同じことが当て嵌まる。ブーメラン。

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