至福を感じる条件

今までの人生の中で「ああ幸せだなぁ、これを幸せというのだろうな」と心から実感したことが2度だけある。日常生活で得られる満足感や充実感、達成感、感動、性的興奮、快楽などとは別次元の、全身を包み込むような猛烈な多幸感・恍惚感で、2度ともほんの一瞬、数秒程度で消失した。

一度目は7、8歳頃、家族と遊園地へ行くために父が運転する車で高速道路を走っていた時。車内にはオールディーズが流れ、車窓から強風が吹き込んでいたその真っ最中。
二度目は就職して間もない20代後半で、親が実家を新築してそこへ引っ越した当日、家族と談笑しながら荷解きをしている真っ最中。

前触れや予兆のようなものはなく突然生じ、瞬く間に消えた。ワクワクしてウレションが出そうになるあの感覚とは違うし、何らかの薬物の作用でもない。
それぞれ「遊園地に行く」「新生活が始まる」というタイミングだったが、その発生条件が「この先の未来に何らかの楽しみがあること」なのか「気の置けない家族が周囲にいること」なのか或いはその両方なのか、それともまた別の何かなのかは、分からない。
同じ遊園地には都合5,6回は家族旅行で行っているが、多幸感を感じたのは何故かこの時の1回だけ。2度目は音楽を聴いていなかったので音楽は必須条件でないのだろう。いずれも自分で自由にできる預貯金などは殆どない状態だったので、金銭的余裕があることも条件ではない。

いつか3度目が来れば条件が判明するかも知れないが、2度目の後に近親者との死別や裁判沙汰・警察沙汰などあれやこれやの不幸を経験したので、もしかしたらそうした黒い記憶が邪魔して、もう3度目は来ないのかも知れない。

だが人生で2度もそんな幸福感を味わえただけでも幸運だった。と思えるのもまた幸福な証拠なのだろう。世界を知れば知るほど、今の時代の日本に生まれただけでラッキーだったと思える。何の苦労もなく得たこの幸運を不幸な人と分かち合わない理由はない。

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