己のテロリズムの自覚がない保守論客
相変わらずな岩田氏。極左テロを同属嫌悪するあまり、自分自身の中にあるテロリズムに自覚がないようだ。
>日本には危険な兆候が現れている。テロを礼賛、ないしは擁護・容認するような風潮がまかり通っていることである。これは、「自由・民主主義社会の危機」だ。
先の大戦前後に比べたら大人しいもの。歴史を知らない者ほど仰々しい。
そもそもテロを容認する風潮がまかり通っていたことが「安倍政権誕生を後押しし」「暗殺事件に繋がった」のだが、岩田氏には未だその辺の実態が見えていない。
>いかなる主義主張を唱えようとも、言論によって社会を変革するのが自由・民主主義社会
如何なる理由があろうとテロは許されないが、暴力的民衆から暴力的政権を生じるのが真の民主主義。テロは自由人権主義の敵。「民主主義への冒涜だ挑戦だ否定だ」は偽善・欺瞞である。
人を見る目がない民衆が選んだ弱者切捨な偽善的極右政治家が軽率浅慮にも極右カルトに共鳴し称賛するから、被害者に恨まれる。安倍氏を慕った極右思想家は、この事実に目を向けなければならない。
>民主主義の根幹である選挙の最中に、民衆に訴えかけている元首相を射殺したことが、「個人的決起」であり「テロ」ではないとは奇妙である。
テロであることは論を待たないが、タイミングや標的の属性や組織的か個人的か等は、少なくとも広義のテロの定義とは無関係。
>「政治は結果である」という常識に照らして考えれば、安倍氏の殺害は間違いなくテロに当たる。
これは強烈な皮肉。安倍氏の行った弱者切り捨てな政治の結果が、巡り巡って「己自身の暗殺」という結果に繋がっているからだ。
正に政治は結果。彼が自らの死を以て示した教訓を無視することは、彼に対する冒涜でもある。
>(朝日新聞)諸君はテロリストを擁護・容認するようにも受け取れる報道に、問題意識、罪の意識を感じないのか。
どの記事のどの文言を指しているのかが明示されていないので「批判の為の批判、蒙昧主義」と見られても仕方がない。
いずれにせよ、どんな情報もその取捨解釈対処は受信者の自由。解釈の自由にも責任が伴う。解釈の結果(受け取り・誤解・不快等)の原因は発信者にはない。
>右にせよ左にせよ、「暴力による言論封殺は許すべきでない」との常識を忘れれば、自由・民主主義社会は崩壊する。
数の暴力もまた同様。体罰・死刑・核武装の容認もまたテロリズム。
右翼思想家が自分たちの欺瞞や偽善にいつ気付くかは、偏に彼ら自身の自己客観視能力に掛っている。異見者を排除し都合が悪い情報を遮断していては、その機会は失われるだけだろう。
カルトを肯定した安倍氏の身から出た錆http://note.com/kanjoj/n/n270c7b5f5c08
1発目の直後にしゃがまなかった平和ボケhttp://note.com/kanjoj/n/nf4102917f76
相模原障害者殺傷事件の植松聖もネトウヨ
http://kanjo.g1.xrea.com/mindo.htm#5