「他人のため」という自分のため

「他人のため」は結局は「他人のためにそれをしたい自分のため」なのだが、上の引用記事の筆者はまだそこまで思いが至っていない様子🙄


>母がいると「野菜を食べさせないといけない」とか「栄養のバランスを考えないといけない」とか、考えるのですけど、1人だと「面倒くさい」が勝ってしまうのですよね。

前者は「自分の母に長生きして貰いたい」というエゴ、後者も「自分が楽をしたい」というエゴ。前者を「母のため」としか認識しないのは、ある意味、傲慢。

>同じことをするにしても、それを人のためにするのか、自分のためにするのかによってやる気が全然違う。これは何なんだろうと。

「自分はある程度健康だし自分の事は自分が良く分かっているので細かなケアは不要」という事だろう。

>好きな人が家に来るとき部屋を掃除しますよね。片付けますよね。誰も来なかったら掃除も片付けもしない。

何故なら、その人に「自分の怠慢な部分を見られ(嫌われ)たくない・自己評価を下げたくない」というエゴが働くからである。嫌いな人であっても同じ。

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