詭弁を多用する情治主義の政治家

悲願の北方領土は遠のき、当てにしていた安倍氏には逝去され、その同情票で参院選では議席を伸ばし、どこか浮足立っている宗男氏。記憶力は抜群なのだが、異見する者への包容力は乏しい。
彼は興奮すると自己肥大化して主語が大きくなる(下記の太字部2か所)。器の小さい者ほど多用する権威論証や多数論証という種の詭弁なのだが、使っている当人に自覚はない。

>「国葬について反対する政党もあるが、国民大多数は安倍元総理の非業の死を悼み、かつ偉大な政治家として評価されている」

偉大か卑小かは基準次第だが、政治家が客観性よりも自分や国民の感情を優先しているうちは、日本はまだ法治国家ではなく情治国家なのだろう。国家予算は社会的弱者の為に使って欲しいものだ。

>「反対する一部政党は国会でも反対の為の反対を繰り返している。だからこそ今回の選挙でも支持を得られていない」

自身は与党のつもりなのだろうが、維新の支持率も五十歩百歩なので「支持を得られていない」はブーメランである。
「反対の為の反対を繰り返す相手」も「”反対の為の反対”に対して”反対の為の反対”を繰り返している彼自身」のブーメラン。彼自身の投影による同属嫌悪の産物、即ちストローマンとも言える。

>「口では『民主主義』と言いながら、やっていることは非民主的であることを国民は承知していると理解するものである」

与党側が常々言われてきたことをここぞとばかりに言い返すための「反論の為の反論」にも見えるが、それはさておき。
自民党が選挙に強いのは、圧倒的多数を占めるIQ120未満の多数派の意見をよく聞くからだ。一方、他の政党は自民党が吸い上げないIQ120以上の専門家・有識者やその他マイノリティの受け皿になっているので、その少数派からしか支持を得られない。論理的に正しい政策を練れるのは後者(少数)でも、政治に強いのは前者(多数)だ。これは日本に限らずどの民主国家でも生じている一種のジレンマである。
選挙は勝たねば意味がない(勝利至上主義)。結局最後は数が物を言う(多数決主義)。だから国家の利益の為に(国家主義)自己責任論を説いて(新自由主義)行政の無駄を省き(拝金主義)、専門家や役人の意見は話半分に聞き(反知性主義)、少数意見は軽視し(排他主義)、多数に支持される政策を実行するポピュリズム(大衆迎合主義)を追求する。
このWW2以前からの価値体系が維新の会のメンバーの言う「民主主義」であることは、彼らの日頃の言動が雄弁に物語っている。その欺瞞に宗男氏がいつ気付くかは分からない。

極右勢力が強まったため、当面は(ヒトラー政権とまでは行かずとも)トランプ政権のような衆愚政治が罷り通ることになるかも知れないが、それも有権者の選択の結果。自業自得、自己責任だ。

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