今の親子は問題解決力が同レベル?
(記事より抜粋)
>加害者を「出席停止」にすべきか?という質問に対して、「とても思う」もしくは「どちらかと言えば思う」という回答が、中学生で53%にのぼり、小学校と中学校の保護者は、ともに60%を超え
出席停止という措置は所謂、臭い物に蓋式のやり方で教育の責任放棄でもある。出席停止にするからにはその加害者が「どのように諭し言い聞かせ言い分を傾聴し創意工夫を凝らし言葉を尽くしても、苛めを止められない子供」であることが必須だが、それでも尚、知的障害や精神疾患を疑い治療の対象にはなることはあっても教育の対象外にはならない。
今の親子は問題解決力が同レベル、若しくは保護者の方が現役中学生より短絡的というこの調査結果は、彼ら親世代が受けた教育が低レベルだったために問題解決力が向上しなかった可能性を伺わせる。恐らくその親のまた親の世代であれば、更に%は上がるだろう。年配者ほどその受けた教育水準が低く、「言ってダメなら叩け」といった排他主義を是認するからだ。
以下、感情自己責任論より抜粋
虐めを含むあらゆる人権侵害の原因は加害者の精神的未成熟。実際、自制心・共感力・協調性のある成熟者は苛め以外の対処を取る。
何を口実にいつどう虐めるか決めるのは加害者。どんな非や欠陥や問題があっても、苛め以外の対処をすれば苛めは発生しない。
そもそも「ムカつくから苛めたい」と感じる原因は、そう感じる人が持つ固定観念。不快感を相手のせいにするのは筋違い。
即ち虐めの原因は常に虐める側にある。「被害者にも原因が」は自己表現力・適応力・問題解決力の乏しい未熟者の責任転嫁である。
「何度転校しても苛められるのは被害者に問題が」も論理飛躍。問題があるのは「各転校先にいる虐めてしまう未熟な子供」。
「夜に一人で出歩くのが悪い」「日本が戦争を始めたのだから原爆を落とされても仕方がない」も論理飛躍による典型的な責任転嫁。
真に救済すべきは、精神的未熟なまま放置されている加害者である。被害者のみの保護・ケアに終始するのは偽善者の自己満足。
尚「苛められてムカつく辛い苦しい悔しい」と感じる原因もまた被害者の固定観念であり自己責任。加害者のせいにするのは筋違い。
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