古代の剣
音読部のおかげで、古事記(上巻)を端から端まで、聞くことができている。八千矛神がでてきたとき、枝分かれした剣の神様かなあと想像した。また、十束の剣もよく出てくるので、これのことかなと思ったりした。神話に関連しては、高千穂の頂上に刺さった剣も写真で見たことがありあれが枝分かれしてたかなあとか、草薙の剣も聞いたことがあるし、江田船山古墳や稲荷山古墳から出土した刀というのも見たことがある。
ごちゃごちゃしているので調べてみた。
八千矛神は、大国主神の異名のうちの一つで、特定の刀とは関係ないみたい。因幡の白兎と対面する場面で白い袋を抱えていたので、大黒様か布袋様かと思ってましたが、どうも違う者みたいですね。
石上神宮伝世の七支刀(しちしとう)
枝分かれした刀は、奈良県天理市の石上神宮に伝来する七支刀という古代の鉄剣のこと。剣身の左右に段違いに3本ずつ、6本の枝刃を持つ。剣身に金象嵌の銘文が記されている。『日本書紀』には七枝刀(ななつさやのたち)の記述があり、倭に対し百済が朝貢した際に献上されたものとされ、関連を指摘されている。
銘文は、金石の器物に記された文のことで、七支刀も銘文入りの刀ですが、
稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣、江田船山古墳出土の銀錯銘大刀もそれに属しています。
十束の剣(十拳剣)は特定の刀をさす言葉ではなく、長い剣のことを指していて、古事記の中でもいく度も出てくるが、ひとつの剣ではないみたい。
1、イザナギがカグツチを斬る場面ででてくるの剣には、「天之尾羽張」(あめのおはばり)または「伊都之尾羽張」(いつのおはばり)という名前がついていて、黄泉の国から逃げるときに、十拳剣を後手に振って追っ手から逃れている。
2、スサノオが持っていた十拳剣を物実としてアマテラスが口に含みかみ砕き息から3柱の女神(宗像三女神)を産んでいる
3、ヤマタノオロチ退治の時にスサノオが使った十拳剣には「天羽々斬(あめのはばきり)という名前がついている。ヤマタノオロチの尾の中にあった草薙剣に当たって刃が欠けたとしている
4、アメノワカヒコの葬儀に訪れたアヂスキタカヒコネが怒って十掬剣で喪屋を切り倒している。
5、タケミカヅチらが大国主の前で十掬剣を海の上に逆さまに刺し、その切先にあぐらをかいて威嚇している。この剣は後に神武東征の場面において神武天皇の手に渡る。この剣が「佐士布都神」(さじふつのかみ)、「甕布都神」(みかふつのかみ)または「布都御魂」(ふつのみたま)という名前であると記されている。
6、山幸彦が海幸彦の釣り針を無くしてしまったため、自分の十拳剣を鋳潰して大量の針を作っている。
天沼矛(あめのぬぼこ):伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の二柱の神は、別天津神たちに漂っていた大地を完成させることを命じられ、天沼矛を与えられた。伊邪那岐・伊邪那美は、天浮橋(あめのうきはし)に立って、天沼矛で、渾沌とした大地をかき混ぜたところ、矛から滴り落ちたものが、積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となった。
天逆鉾 中世に到り仏教の影響のもと、この神話には様々な解釈が生み出され、天沼矛の性質も変容していく。
修験道の神道書『大和葛城宝山記』では、天沼矛を天地開闢の際に発生した霊物であり大梵天王を化生したとし、独鈷杵と見なされ魔を打ち返す働きを持つとして別名を天魔反戈というとされている。更に天孫降臨した邇邇芸命を瓊(宝石)で飾られた杵(金剛杵)の神と解し、「杵」を武器に地上平定する天杵尊、別名杵独王とした。
一方で両部神道の神道書『天地麗気府録』ではオノゴロ島に立てられた金剛杵であるとされ、これらの影響を受けた『仙宮院秘文』では皇孫尊は天沼矛を神宝として天下ったとされた。このため天沼矛=天逆鉾は地上にあると考えられるようになった。
天逆鉾の所在については『大和葛城宝山記』では天魔反戈は内宮滝祭宮にあるとされている。伊勢神道(度会神道)の神道書『神皇実録』ではサルタヒコの宮処の璽(しるし)とされており、『倭姫命世記』では天照大神が天から天逆鉾を伊勢に投げ下ろしたとし内宮御酒殿に保管されているとした。いずれも、伊勢神宮に保管されていると説く。
一方で天逆鉾が、大国主神を通してニニギに譲り渡されて国家平定に役立てられ、その後、国家の安定を願い矛が二度と振るわれることのないようにとの願いをこめて高千穂峰に突き立てたという伝承がある。この天逆鉾は霧島六社権現の一社・霧島東神社の社宝である。この矛の由来は不明であるが、一説によると奈良時代には既に存在していたといわれる。
この天逆鉾はのちに火山の噴火で折れてしまい、現在残っているものはレプリカである。オリジナルの柄の部分は地中に残っており、刃の部分は回収され、島津家に献上され、近くの荒武神社(都城市吉之元町)に奉納されたが、その後も様々な人手を転々と渡って現在は行方不明となっている。
天叢雲剣 草薙剣
天叢雲剣は、三種の神器の一つ。 草薙剣(くさなぎのつるぎ)
スサノオが出雲国でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に、大蛇の体内(尾)から見つかった神剣である
続いて天孫降臨に際し他の神器と共にニニギノミコトに託され、地上に降りた。 崇神天皇の時代に草薙剣の形代が造られ、形代は宮中(天皇の側)に残り、本来の神剣は笠縫宮を経由して、伊勢神宮に移されたという。 景行天皇の時代、伊勢神宮のヤマトヒメノミコトは、東征に向かうヤマトタケルに神剣(天叢雲剣/草薙剣)を託す。ヤマトタケルの死後、草薙剣は神宮に戻ることなくミヤズヒメ(ヤマトタケル妻)と尾張氏が尾張国で祀り続けた。これが名古屋・熱田神宮の起源である。