人間の欲求を知るためのマズローの法則を理解しましょう。
さて、ここまでCUBE占いに関する幾つかのキーワードが出てきましたので少しおさらいを兼ねて言語化しておきましょう。
まず今までに出てきたお話の中で、魚を飼育する環境として「外的要因」魚自身の内面での精神や思考を「内的要因」として例えてきました。
また、そうした思考のうち、このようにしたい、このようにありたいなど、人間に置き換えると様々な欲求があります。
私が普段からお伝えしている「他人との比較をやめてしたい事をしましょう」というものも自分の欲求を満たすためのひとつの行動です。
また、「思考」「行動」「精神」「言語や表現」というものも、後ほどマズローの法則とすり合わせていきますが、その全ての根幹として必要な要素として「言語化」を通じて行われる「認知・認識」が非常に重要になってきます。
思考や精神の中で数多の想いを巡らせている状態では「逃げることができる前提」であるものも多く、自分の思考や思想、高次元の欲求を満たすには障害が出てきます。
これを打破するためには普段から「言葉にして自分のしたい事を健在意識のゾーンに持ち出して認知・認識する事で明確化する」という意識が必要になってきます。
では実際に以前の記事で幸せそうなかたがどのような事を行ってきたか再確認してみましょう。
「足りる事を理解している」「やりたい事が小さいレベルでも達成されている」「意欲的な何かを持っている」「他人との比較ではなく自分の理想を形にする楽しさ(世界観)を持っている」「オンオフの切り替えが早い」「自分の発言できる場(空間)を保有している」
このような状態をよく見受けられるという事でした。
では、これらの状態をあなた自身がイメージするときに「無意識」であったり、これらを達成しようとするときに「自覚がない」状態で達成できるかを考えてみてください。
なかなか難しいはずです。ですが、一方で私たちは日常的に夢の中で脳による「無意識的な思考」を持っています。
いわゆる潜在意識に属する思考になりますが、夢と言うのはその何割かは「実際にその世界を体験しているはずなのに忘れる」ものです。
これが潜在意識の内部で起こった事が現実の世界でなかなか達成できない要因でもあります。
思い出せずに再認識できないから「再現性」がない、思い出しても言葉にしない事で「認知・認識」が薄く、顕在化レベルが低い、ということになります。
マズローの法則では、低次元な欲求から記していくと、衣食住や生きる事に関するものとしての「生理的欲求」、次の次元として身の安全を図るための「安全欲求」、このふたつが満たされて自分の「内的要因」に不足がない状態を「欠乏が満たされる」として、外に欲求が向いて「成長するための欲求」に変化していき、コミュニティへの参加や自分の価値を求める最初の段階としての「社会的欲求」を経て、他人や社会から自分の価値を見出す「承認欲求」となり、それらを満たしたのちに「自己実現の欲求」、「自己超越の欲求」という高次元への欲求に変化していきます。
ここで注意しておきたいのが、私たちの感情は「生理的欲求」が満たされるまで「安全欲求」が発生しないということはありません。
同時に高度な次元の欲求も「欠乏」した状態や「成長」する初期の段階でも「夢」みます。
つまり、いくつもの次元の欲求を同時に思い、「認識」している状態です。
これが達成される段階で「認知」され、その欲求は「一時的に満たされた」と言えるでしょう。
ここで重要なことは「一時的に満たされた」ということです。
私たちは様々な事を同時に「認知」できません。
ひとつひとつの状態を意識的に確認する行為で「認知」が初めてできます。
その性質を理解しないと、「一度手に入れた欲求は崩壊しない」というような妄想や虚言に近しい感覚や思考が定着しかねません。
ここで新たに意識する必要があるのは、「私たちの生活のほとんどは、サイクルとスパイラルでできている」ということです。
時間や季節、或いは様々なスケジュールやイベントも始まりと終わりというサイクルがあります。
また、そのサイクルを反復する上で、経済活動としての拡大や成長をはじめ、さまざまな場面でより高みを目指す試みが行われています。
そうした根幹となる性質を理解すると、欲求というものもある程度まで高次元が目指されつつ、低次元の欲求もまた一定の期間が経過すると、その欲求が満たされるべく「認知・認識」される必要があるということです。
生まれて一度だけ母親の母乳を飲んで数十年生き続けられる人間がいるか、という問いを考えば答えは容易いはずです。
こうした当たり前の事実も私たちは初めて思いを馳せる際に「認知・認識」できていなかったと「気付き」ます。
世の中でしばしば聞く「気付きが大切」と言われる所以が理解できたと思います。
最後に、このマズローの法則だけでなく、根幹的な世の中の性質についてもうひとつ列挙しておくのであれば、「逆も亦真也」に近しい状態としての「情報には範囲がある」事を前提として、「適切な範囲として情報を扱う」ことが「科学の法則」であり、「適切な範囲には必ず反対側の情報も含まれる」ことを述べておきたいと思います。
あなたは八百屋さんに行き、りんごを買いました。
この八百屋さんはあまり評判が良くありません。
今回も買ったリンゴを家で食べようとしたところ、痛んでいました。
この状態であなたは「八百屋の責任だ」と思いますか、それとも「確認しなかった自分の責任だ」と思うでしょうか。
この答えの分岐には実は「世の中の根幹的な性質を理解しているか」という情報が含まれます。
一般的には「売った八百屋が悪い」とされることも多いでしょう。
実際に法的な要素としても善管注意義務としての不良品に関しての明示的な指摘がなかったことで、「要素の錯誤」として売買契約を破棄することも可能です。
ですが、そもそも自分の食べたいと思う「生理的欲求」だけでリンゴを実際に手にして、全体を確認しない「反対側の情報」がない状態で「安全欲求」が満たされないまま、あなた自身の決断で購入された事実は変わらないのです。
私はこれを私のメンバーや慕ってくれるかたに「りんごの裏側は誰にも等しく見えない」として語っています。
りんごを調べることは「八百屋を疑う行為だ」「人格や性格に問題がある」「疑うならそこで買わないべきだ」などさまざまな意見が飛び交うことでしょう。
ですが、欲求を満たすために「認知・認識」しないことは、「夢」と変わらないことはもうあなたはここで学びました。
活かすのかどうかはあなた次第です。
これらが為されず、「現実的な幸せ」が達成されるかは「言葉としての科学」の知るところではないでしょう。
ややもすると、あなたはこの「情報の適正な範囲」に対して問題行動を起こした結果、成人した人間の体重と身長を2桁間違えることで、平均身長170cm、平均体重60Kgではなく、身長170mまたは1.7cm、体重6tまたは600gという全く違う「世界」のお話をしていることになります。
また、「反対側の情報」を無視した結果、頭や足先ではなく意味もない場所で身長体重を測定した結果、「詐欺的な根拠のない情報」を記録することになるでしょう。
何がどのように大切でどのように機能するために必要なのか、そうした「構造的かつ科学的な根拠」を持ち得るかが「幸せ」に欠かせない鍵と実感するはずです。
今回はここまでです。またお会いいたしましょう。