ひぐらし業考察『サブタイトルの意味とは?誰が、誰を“騙す”のか?』
※この先、『ひぐらしのなく頃に業』本編のネタバレしかありません。
アニメを先に視聴することをオススメします。
※前作までで明かされている謎も含めながら考察していくので、2006年のアニメ『ひぐらしのなく頃に』2007年のアニメ『ひぐらしのなく頃に解』のネタバレも大いに含みます。
原作、もしくはアニメかコミックを先にry
※なんなら『うみねこのなく頃に』まで触れまくっています。
原作、もしくはry
※1話〜4話『鬼騙し編』完結、5話〜7話『綿騙し編』放映中時点での考察です。(2020/11/13)
▼前回
4話で『鬼隠し編』が終わり、
5話から『綿騙し編』に突入している。
『鬼騙し』ときて、『綿騙し』……
この流れは、誰しもが無印ひぐらしを思い出すだろう。
1作目のサブタイトルを振り返ってみよう。
1〜4話 鬼隠し編
5〜8話 綿流し編
9〜13話 祟殺し編
14〜15話 暇潰し編
16〜21話 目明し編
22〜26話 罪滅し編
今回の放送期間を見ると、2クールは確定しているので、少なくとも全部で24話あるのだろう。
無印ひぐらしをめちゃめちゃ意識している。
サブタイトルは『○騙し』に統一されるのか?
そもそも、「騙し」という言葉を使った意図は?
これについて、今回
『このタイトルは“誰”の目線でつけられたか』
という観点から推測する。
ちなみに記事はめちゃめちゃ長いし
たぶんめちゃめちゃ分かりづらいし
推測もオカルト感満載なので注意してほしい。
それでは、まず始めに「ひぐらしのなく頃に」の世界の構成を考察しておこうと思う。
「うみねこのなく頃に」を履修している者には周知の事実であるが、この『なく頃に』シリーズには、高次元の世界が存在していおり、魔女や魔術師、家具や武具と呼ばれる下僕などが存在している。
(戦人vsベアト論争のように“して居ない”かどうかは今回言及しない)
高次元の世界のことは、うみねこで語られる。
──ひぐらしの雛見沢と、うみねこの六軒島。
それは『創造主』である魔女が、物語を観劇する為に創造した舞台で、
『ゲームマスター』がゲームを始め
『プレイヤー』が『駒』を動かしてゲームを進めている。
我々が見ているのは、
そのほんの一部に過ぎない──
というものだ。
表にするならば
ゲームを考案、創造 ←『創造主』
━━次元の壁━━
ゲームの主催者 ←『ゲームマスター』
駒を動かす者 ←『プレイヤー』
━━次元の壁━━
操られる駒 ←『駒』
といった感じだ。
うみねこでは、謎解きの“対戦”ゲームとして物語が進むため、カケラごとにゲームマスターが異なり、更にゲームマスターがプレイヤーを兼任していた。
しかしひぐらしでは、そもそもゲームの種類が違うように思える。
うみねこは持論を叩きつけ合う論争である一方、ひぐらしは、持論以前に謎解き要素が多すぎるのだ。
以下にまとめる。
ひぐらしでは明確な描写がなされていないので、一部は完全に推測である。
うみねこ
▼ゲーム種
対戦ゲーム(チェスの描写)
▼状況
『創造主』 ←フェザリーヌ
━━次元の壁━━
『ゲームマスター』←ゲーム毎に異なる
『プレイヤー』 ←ゲームマスターが兼任
━━次元の壁━━
『駒』 ←現実世界のキャラクター
ひぐらし(※推測)
▼ゲーム種
マーダーミステリー(のようなもの)
▼状況
『創造主』 ←フェザリーヌ
━━次元の壁━━
『ゲームマスター』 ←?
『プレイヤー』 ←梨花、羽入(※後述)
━━次元の壁━━
『駒』 ←現実世界のキャラクター
プレイヤーについて。
皆殺し編のラスト、部活メンバーが羽入と同じ次元に登場するシーンがある。「あれ?なんで圭一たちがカケラの外に…?」と読者が何がなんだか分からないシーンだ。あのシーンが重要な鍵になっている気がする。
カケラが浮遊し、プレイヤーが住まう次元。
むしろこの次元こそが人間の本体で、人間の“自我”が住まう世界なのではないか?と推測する。
つまり現実世界の人間は全員『駒』であり
高次元で『プレイヤー』という形で自我が存在しているのではないか、という考えだ。
それは駒本人の自我であるかもしれないし、駒本人に駒自身の自我はなく、他の人間の自我が自分という駒を動かしているのかもしれない。
この世界観で言えば、我々人類は(私も、そしてこれを読んでいるあなたも)駒であり、我々に自我があるとするなら、それは1つ上の次元にある、ということでもある。
下位次元から上位次元に干渉はできない。
だから駒は上位の次元の存在を知らない。
そして駒は“創り出される”ものではなく、プレイヤーの無意識から“生み出される”ものだとすれば、記憶の引き継ぎが意図的に出来ないことも説明がつく。
さて、『サブタイトルは誰が名付けたのか?』という謎についての推測だが、私は、ゲームマスターが名付けたのではないかと考えている。
メインタイトル「ひぐらしのなく頃に」は、舞台を創造したフェザリーヌが命名したはずだ。
…そんな描写があったような気がする。
刑事の赤坂が、惨劇が起こったその後の世界で、雛見沢大災害について執筆した本のタイトルが“ひぐらしのなく頃に”でもあったはずだが、赤坂でさえ世界の創造物なのだから、真の名付け親はフェザリーヌだ。
だが、『サブタイトル』の名付け親は、創造主ではなくゲームマスターなのでは、と考えている。
その肝心なゲームマスターが誰であるか…これはうみねこでも語られなかった。(私の記憶では)
だから推測なのだ。
ただ、ここまで書いていて、なんだが、
私は『ひぐらしのなく頃に』(無印)ではゲームマスターが“不在”だったのではないかと考える。
正確に言うと、プレイヤーが兼任しているのではないかと思っているのだ。
(言わば、GM不在のマーダーミステリーだ。)
うみねこのワンシーンに、
『ベルンカステルは過去、フェザリーヌによってゲーム内に放り込まれ、非常に大変な思いをしたので、性格が歪んでしまった。その元凶であるフェザリーヌを嫌っている』
…というようなことを説明される場面があったのだが、その『過去』こそが『ひぐらしのなく頃に』の話ではないかと、ファンの間では推測されている。
性格が歪む程に大変な思いをしたゲーム。
何故そんなに大変だったのだろうか。
それは、ゲームマスターが居なかったからなのではないだろうか。
ゲームマスター、つまり進行役がいない下位次元に放り込まれたベルンカステルは、完全に手探りでゲームを攻略しなければならなかった。
そして上位の次元に干渉できなくなった結果、ベルンカステルから切り離された『プレイヤーの梨花』という存在になってしまい、抜け出すためには更に下位次元となる現世の『駒“梨花”』を動かさなければならなかったのかもしれない。
ただし、ひとりではなかった。
そこで出会ったのは『プレイヤーの羽入』。
羽入は、ファンの間では、フェザリーヌの分身であるというのは定説なのだが、羽入もフェザリーヌから切り離された存在なのではないだろうか。
つまりは現在は別個体である。
更に妄想するなら
過去、羽入はフェザリーヌ自身が操っていた一種の駒だったが、(故意なのか事故なのかはさておき)プレイヤーのフェザリーヌに手放されてしまい、駒として独立してしまった。
そして、羽入が現世にてオヤシロ様として神格化したことにより、次元を超える力を手に入れ、干渉できないはずの上位のプレイヤーの次元に現れたのではと考えている。(だからこそ唯一、次元を行き来できたのではないか?)
しかし時は流れ、羽入も力が衰え始めた。
羽入は易々と次元を動くことができなくなってしまい、遂には上位次元に住まう『プレイヤーの羽入』となってしまった。
プレイヤーになったからには、駒を生み出すことができる。
しかし力が衰えている羽入が動かす『駒“羽入”』は、始めは人間として具現化することができず、“オヤシロ様”という目に見えない存在でしかいられなかった(鬼隠し〜皆殺し)。
雛見沢大災害の惨劇から梨花が抜け出すのは、羽入にとっても意義があることだったのだろう。
だから、
出会った2人のプレイヤーは、結託した。
結託して、対戦相手を見据えた。
その対戦相手は──
ラムダデルタだったのではないだろうか。
そう、ベルンカステルにヤンデレと言わんばかりの歪んだ愛情を持ち、怒らせると怖いラムダデルタだ。
プレイヤー梨花とプレイヤー羽入は、そのラムダデルタと対戦していたのかもしれない。
そのゲームの大きなポイントとして、ラムダデルタが駒の誰を動かしているのかが、暴くべき謎だったのではないだろうか。
対戦相手が所持する、狙い撃つべき駒がどこにいるのか分からなかったのだ。
だからこそ迷走したのだ。
幾度となく繰り返される世界の中、誰が、どの駒が、現世の黒幕なのかを特定できずに、何度も悔しい思いをしたのかもしれない。
そうして、めげずにゲームを繰り返していったプレイヤーの梨花と羽入。
ゲーム開始から100年経った頃にようやく、狙い撃つべき駒を特定することに成功する。
(皆殺し編)
それが『駒の“鷹野三四”』だった。
黒幕を突き止めてからは、梨花の猛反撃。
ついに祭囃し編にて、打ち勝ったのだった。
そして今回、『ひぐらしのなく頃に業』。
ゲームは祭囃し編で終わったはずだったが、ベルンカステルは再び、ラムダデルタと対戦することになったのではないだろうか。
なんてったって
ラムダデルタは『絶対の魔女』なのだ。
強い意思で、願いを“絶対”叶える魔女。
一度負けて引き下がるような相手ではないのだ。
前回のゲームでは、
高野一二三の意思を引き継ぎ、一二三おじいちゃんの願いを“絶対”叶えてみせると誓った鷹野三四が、ラムダの駒だったのだろう。
しかし、再び始まったこのゲーム。
ラムダデルタが同じ駒を使うとは思えない。
だから[鷹野三四は黒幕ではない]のだ。
そう、きっと。
祭囃し編で唯一、兄も目覚めず、生きている叔父の脅威に怯えつつ、将来に不安を残したままだった、北条沙都子に、『絶対』の意思を宿した。
のかもしれない。
『ひぐらしのなく頃に』は完結したゲーム。
完結した物語だった。
しかし、創造主のフェザリーヌなら、きっと更なる物語を求めるだろう。
フェザリーヌは『観劇の魔女』だから?
それだけじゃない。
魔女を殺す1番の毒は、「退屈」なのだそうだ。
だから、フェザリーヌは、物語を求める。
自分が死なないように。
ふと思い出したフェザリーヌが、
ラムダデルタに言ったのではないだろうか。
あのゲームを再び…と。
そして再び席につき、
向かい合うベルンカステルと、ラムダデルタ。
盤上に駒を置いた瞬間。
再びプレイヤーの梨花が生まれた。
生まれた梨花は動揺し、悲痛な叫びを羽入にぶつける。
「また繰り返せっていうの!?
ねぇ!?
百年では足りなかった!!?」
2話のあの叫びは、
ベルンの言葉でもあったのかもしれない。
さて、考察の結論だ。
『サブタイトルは何を表しているのか』。
誰が、誰を騙すのか。
そう。
ラムダデルタと、ベルンカステルだ。
ラムダデルタが、ベルンカステルを騙すのだ。
祭囃し編を乗り越えた後だからこそ、ベルンはラムダがどんな戦略で来ようが、全てのルートに予測が立てられるから楽勝だと思い込んでいる
「……良いわ。
今の私は真実を何も知らず、ただ幸運にすがってサイコロを振り続けていた頃とは違う。
すべてを理解しているから。
雛見沢のルールも。
誰が古手梨花を殺すのかも。」
2話の冒頭、梨花はそう勇んでからカケラに踏み入った。
しかし再びリスポーンした世界は、まるで違っていた。鬼騙し編では、実にスムーズに、呆気なく惨劇が起きた。
今までの定説が通用しないと気付く梨花。
7話では遂に、圭一に対して素顔丸出しでキレるまで、余裕もなく苛立ちが全面に出ていた。
フフッ…
そんな間抜けな例え話をしてくるとは思わなかったわ。
良いのよ別に。アンタは何も心配しなくても。アンタが何を心配してもしなくても、もう全て終わっているわ。
今年の祟りも。この世界も。アンタも私も全部ね。
私の奉納演武を大人しく見ていれば良かったのにね。
ダメよ?入っちゃいけない場所に…それも、綿流しの日に入っちゃうなんて。
富竹の死体がまだ見つかっていないのは珍しいけれど、あのふたり、もう死んでいるわ。
詩音は、まだ生きてるはず。
もっとも、それがアンタにとって幸運なことかどうかは知らないけどね。
フフフ……ウッフフフ………
(ブチギレですやん………)
(ちなみにこの会話の直後、ボールを追いかけて割り込んでくるのが沙都子だ。
有刺鉄線電流爆破濁流殺人扇風機ドッヂボール!ですわ!
この言い回しにすらラムダデルタ感を感じる。
…さすがに考えすぎだろうか?)
あんなに余裕綽々だった梨花が、苛立っている。
彼女は、我々でもある。
色々異例すぎて、古参だとしても考察が難しい。
梨花も同じなのだ。
雛三沢のルールも、
誰が古手梨花を殺すのかも。
何もかも違っているのだから。
面白がっているラムダデルタが目に浮かぶ。
「ねぇベルン。
『鬼隠し編』にそっくりでしょ!?
でもねぇ?…何かが違ってると思わなぁい?」
鷹野三四が犯人じゃない世界線。
それは梨花にとっても、ベルンカステルにとっても初めての世界だ。
「ああベルン!苦しんでいるのね、愛してるわ!
クスクスクスクス!!」
聞こえる気がする。
「この世界にタイトルをつけるとするなら…
そうね、 鬼“騙し”編なんてど〜お?」
攻略したはずの世界に、敢えて似せたタイトルで
ベルンを煽るラムダデルタの声が。
………なーんて。
そんな妄想をしている。
全くの見当違いだったら恥ずかしいな。
まあ、それも…
将来見返したときに笑うための考察と言うことで…
ひぐらし無印が
1〜4話 鬼隠し編
5〜8話 綿流し編
9〜13話 祟殺し編
14〜15話 暇潰し編
16〜21話 目明し編
22〜26話 罪滅し編
だったので 今回は、
1〜4話「鬼騙し編」
5〜8話「綿騙し編」
9〜13話「祟騙し編」
となるだろうけど…
14〜19話「目明し編」
20〜24話「罪滅し編」
はどうなるだろうか?
(暇潰し編っぽい話は入らないんじゃないか?)
14〜19話「種明し編」
とかだったら面白いな。
ん?
…………割とアリな気がするな!
出題編で“騙し”てたんなら
解決編では“種”を“明”かさなきゃな、っつって!
ははは!
……ハッシュタグにつけておこう(謎行為)
あとは「罪滅し編」のオマージュだが…
こればかりは…
展開によるだろうから、今は全く思いつかないなぁ…
うーん。
20〜24話「罪赦し編」
とかどう?
誰がって、そりゃ…
梨花が黒幕を…黒幕が梨花を…とか?
「罪」と「赦す」というワードを聞くと
ベルンカステルの詩を思い出す。
何が罪かわかりますか。
知恵の実を口にしたからではありません。
何が罪かわかりますか。
蛇の甘言に耳を貸したからではありません。
まだ罪がわかりませんか。
それこそがあなたの罪なのです。
気付いてくれなかったことに気付いてくれた。
だから罪を赦しましょう、というような。
…そんな展開もあるんじゃないか?
しかし、まあ綺麗なサブタイトルだ。
なかなかに良い。
……おや?
意外と自分はセンスあるんじゃないか?(自賛)
これもハッシュタグにつけておくか。
……言ったもん勝ちだからな!
以上。
サブタイトルと世界構成の考察でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?