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不育症がわかるまで①

※やや血生臭い表現があるのでご注意ください

2020年の夏、26歳で無事男の子を出産し、2021年春に職場復帰。
そろそろ2人目が欲しいな……と思った2022年の暮れに妊娠が判明。
心拍も確認でき、安心していたところ年末の健診で胎児心拍の停止を確認。
年末年始を過ごすも自然排出されなかったため、2023年1月に手術を実施。

そして2024年1月、再び妊娠が判明するも胎児心拍確認に至らず。 
出血続くも排出されず、
2024年2月に手術となりました。

その後、大学病院の不育外来を受診し、
リスク因子が見つかりました。
不育症がわかるまでの記録を綴っていきます。


心拍確認後の稽留流産

2022.11 妊娠判明

2022年。息子のKくんは2歳。元気いっぱい。
赤ちゃんっぽさが抜けてきて少ししっかりしてきた。
もう1人、子どもがいてもいいかな。
そう思った2022年の11月末。
妊娠検査薬で陽性が出た。
1人目を出産したA総合病院を受診、5週相当の胎嚢が確認できた。

次は心拍確認。
ソワソワの2週間の間に出張などがあったが、つわりもないので難なくこなす。

7週の検診でお豆さんみたいな形の胎児から心拍が確認でき、順調だった。
ドッドッドッという心音も聞き、確かな生命を感じた。

2022.12 胎児心拍


12月28日、仕事納めをし、9週の検診にやってきた。
順調だったら母子手帳をもらう予定だった。

エコー。
人間の形をした胎児の姿を確認でき、一瞬安堵する。
しかし、心臓の点滅が消えている事が間もなくわかった。
私の心臓が止まりそうだった。
内診台のうえで震える。
長い沈黙のあと、医師は「前回より成長はしていますが、心拍が確認できないです。8週相当で亡くなった可能性が高いです。」と言いにくそうに言った。
予想外の出来事に涙と震えが止まらない。

もう1度診察しないと確定診断ができないが、ほぼ間違いないので年末年始を用心するように言われる。
お腹が大きく順調そうに見える妊婦がたくさんいる待合室。
お腹に亡くなった胎児を宿す私はその場にいられず、廊下でひとり涙を抑えようと戦った。

助産師のフォローはなかった。

出張中の夫に亡くなった胎児のエコー写真を送った。

心拍確認後の流産は5%と言われている。
なんで?という気持ちがいっぱいだった。

年末年始:手術まで

せっかくの年末年始。
ポケモンSVをやるなどしてとにかく気持ちを保った。
ご馳走も食べまくった。
お寺に初詣 兼 水子供養にも行った。
そして家にいる間は他人の流産体験談等を読み漁り、いつ来るかわからない自然排出へ備え大きなナプキンの用意など準備を行った。
2歳の息子もいるので、家で出血し動けなくなる可能性を考えると早く手術したくてたまらなかった。

年明けに再受診し、流産が確定。
赤ちゃんの手足がなくなってだるまみたいになっていた。


「赤ちゃんに水が溜まって、もう浮腫みたいになってきてるね。」


このあと、年配の男性医師は受精卵が出産に至るまでの奇跡や自分の昔話を20分くらいされた。
心底どうでもよいし、わが子を浮腫扱いされ傷ついた。

手術当日


着替えなどの荷物を片手に朝一で病院に駆け込む。
旦那に病院前まで送ってもらったが、「気を付けて」の声が震えていたように思う。
病室を案内され、人生ではじめての静脈麻酔にびくびくしていた。
時折、新生児の泣き声が聞こえる。
「懐かしいな~。君は元気に育ってね。」という気持ちと「産みたかったなあ」という気持ちでいっぱいになった。


手術室、というか分娩室に案内される。
息子を無事に産んだ分娩台に今度は流産の手術で座る。
医師がやってくる。
「年末に大変やったな~!早速、流産の手術しますよ~!静脈麻酔はあっという間に寝てまうで~」と言われ
あまりにも飄々とした態度だったので
「そうなんですか~?!静脈麻酔、なんだか楽しみです!!」と咄嗟に強がってしまった。
そして本当にあっという間に寝てしまい、気づいたら病室のベッドの上で生理用ショーツを履かされていた。

終わったのか。


赤ちゃんはどうなってしまったんだろう。
2センチくらいで、亡くなってから週数も経ってるので難しかったのかもしれないが、ひと目でもいいから見たかった。

術後


麻酔の影響か手術の影響か、当日は術後2時間ほどで退院したがまともに歩けなかった。
旦那が迎えに来て、フラフラしながら塩元帥で梅塩ラーメンを食べた。
ラーメンは美味しかった。

処方された子宮収縮薬を飲む。
でかでかと「妊婦厳禁」と書いてあり悲しくなる。
そしてこの子宮収縮剤を飲むとお腹が痛み、また、排せつの際にもお腹が痛むという期間が1週間ほど続いた。
後陣痛のような痛みだった。

さらに、当時2歳半の息子がコロナに罹り、旦那も私も発熱し寝込むという
Wパンチでなんだかんだ2週間ほど体調が悪かった。

また、心へのダメージが大きく3か月ほどフラッシュバック等に苦しんだが
仕事に打ち込み、旅行やお出かけでリフレッシュをして少しずつ心の元気を取り戻した。

(つづく)

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