【マヨぱん】真夜中ぱんチ 【ヨルクラ】夜のクラゲは泳げない 両者の違いについて所感

2024年夏アニメ マヨぱん 真夜中ぱんチ

2024年春アニメ 夜のクラゲは泳げない

アニメ放送開始から似ていると言われた両者
どの辺りが似ているかは前に書いたのでこちらを参照のこと

で、真夜中ぱんチ放送終了
私がマヨぱんとヨルクラを比較してどう思ったかを書こうと思います

テーマ

「文字のみんな」という匿名の声
誹謗中傷アンチの声を受けて、クリエイターが萎縮し心を痛める
その問題に対してどのように向き合うのか、どうしたらいいかというテーマがあったと思います
自分が望む「好き」を表現したくても、それを否定してくる見えない存在「文字のみんな」
過去の自分の過ちがどこまでもつきまとう

レッテルを貼る
思い込みで断罪する
なにも知らないのに知った風なことを言う
上から目線で批評する
そういった「文字のみんな」の声に怯え、クリエイターは手が止まる
その問題に対してのメッセージが両アニメにはあると思います

真夜中ぱんチのメッセージ

マヨぱんは「真夜中」闇のど真ん中に焦点があたっていると思います
直球でアンチコメント問題、クソリプ問題のことです

結論として
「アンチの声なんて気にすんな」
「どうせあいつらたいして考えてない」
所詮クソリプなんて気にすんな
ナウマンゾウになったつもりでアンチコメントの🐜なんて踏み潰せ
ちゃんと仲間がいる
NEWTuber、同じ志を持つものが支えてくれる
妹が、一番自分を知っている身内が支えてくれる
そんなメッセージでした

ぶっちゃけ「文字のみんな」との決別と言ってもいい結論
本当のファンはちゃんといるし、ファンでも口汚いやつもいる
でも「文字」からは伝わりにくい
だから「文字」なんて気にしなくていい

マヨぱんはずっと主人公を「クズ」として描いています
視聴者目線としても、「叩かれて当然」という存在をずっと維持しました
最後に裏返すのかな?と予想してましたが、最後まで突き抜けました
最後に仲間のりぶをパンチすると言うシーンを入れました
真咲は「クズ」である点から離れようとしませんでした

これは「誰しも聖人君子じゃない」ということでしょう
どんな人であっても叩かれる要素は大なり小なりもっている
どんな人間にもクソリプという「正論パンチ」が襲ってくる
だから真咲の「クズ」さを消さないようにして、それでも好きなことをしていいという結論に結びつけたと思います

「真夜中」というワードが示すとおり
「闇の部分」「暗い心」「正しくない行動」それを持っていたとしてもオモテの世界に表現したい
完璧じゃなくてもいいという救済が感じられます

クリエイターに寄り添った視点
なんらかの後ろめたいことがあったとしても、そのままでいい
楽しくやっていいんだというメッセージが感じられます

はじめは「はりシス」の二人と仲違いしましたが、
最後には和解しました
「はりシス」を悪役にしなかった
これは「クリエイター側はみんな仲間だ」という意味でしょうね

ただひとつ気になったことがあります
ファンとの間に線を引いたということです

動画制作は自分の好きを作り上げる職業です
自分の「好き」をファンに共感してもらう
ある意味一方通行な関係です
クリエイターへのリターンは「登録者数」と「収入」という「数字」
ファンからの声、「文字」は、ほぼ「邪魔なもの」でしかない
一部のファンの「あったかいメッセージ」は確かに真咲を支えました
ですがファンである大江戸寂しガールの「文字」はクソリプばかり
だから「文字」なんて気にしなくていいという結論
「文字のみんな」に対して、「無視していい存在」という線を引かれて終わったと感じました

身近にいる仲間、リアルは味方
「文字のみんな」、ネットは蟻、虫、無視

アニメの視聴者である私も「文字のみんな」の一員です
正直言うと「最後にパンチされたな」と思いましたクソリプに対して言ってるのはわかるんですが、「ファンとしての文字も届かないのかな?」と少し寂しい思いになりました
距離を取られちゃったなという感じです

夜のクラゲは泳げないのメッセージ

ヨルクラは「夜」を越えた先、「夜明け」に焦点が当たっていると感じます

「仲間」だけではなく「ファン」や「文字のみんな」がJELEEの4人を支えました
逆に「仲間」を傷つけたり傷つけられたりすることもありました
「仲間」と「敵」、「リアル」と「ネット」で、どちらが「善」でどちらが「悪」だと分断もしませんでした
どちらにも「善」も「悪」もあった

「リアルの友人」から絵を批判されて描けなくなった
けど、「他人だったファン」に出会ってもう一度描き始めることができた

「文字のみんな」の誹謗中傷を受けてリアルのライブが中止に追い込まれた
けど、「文字のみんな」の応援を受けて仮想ライブを成功させた

「リアルの友人」を泣かせたことで自分が嫌いになって歌えなくなった
けど「リアルのファン」に自分の良いところも悪いところも全て愛されて、そんな自分でもいいと思えた

「ネットでの嘘」を「リアルの同級生」に暴かれて逃げ出した
けど「リアルの親友」に支えられて「ネットの嘘」に本当の自分を表現した

「母親」に操り人形として使われていて、失望されて見捨てられたと思っていた
けど、今の自分、自分を好きな自分を出したことで「母親」から認められた

リアルとネットの垣根を超えた
認識の差、意思疎通の問題、心の距離
リアルだネットだという線引きではなく
見えない存在、理解できない存在という壁を乗り越える
好きな人は好き、嫌いな奴は嫌い
でも好きだった人が嫌いになって、嫌いになったけどまた好きになる
リアルもネットもわかり会えない
でもわかりたい
わかろうとする
結果わかり会えないこともある
一人一人 人間であるというメッセージ

アンチコメントという闇、「夜」の存在から、
人と人とが寄り添い支え合うという光、「夜明け」という先の希望

支えて支えられる関係
推しと推される関係
そういったメッセージを感じました

ヨルクラは動画制作という手段を使いますが、メインは「歌」
歌による歌い手の心と聞き手の心をつなぐ共感が存在します

言ってしまえば「綺麗事」かも知れません
ヨルクラは汚いところ、アンチコメントやクソリプにしっかり心を痛めています
それで心が折れたりするのが普通かも知れません
うまく行かないのが普通かもしれません
でもヨルクラは傷つきながらも、仲間に文字のみんなに寄り添われて自分の「好き」を進みました

JELEEの4人に手を差し伸べた気持ち、
JELEEの4人から手を差し伸べられたような気持ちになりました
「文字のみんな」である私としても
「クリエイター」に憧れる私としても
「ファン」として推す気持ちにも
心にぶっ刺さったわけです

両者を比較して

マヨぱんは終わったという寂しさが残って
ヨルクラは終わらずに心の支えになった
そんな違いを感じました

これはあくまで個人の感想なんで、どっちが上か下かという話じゃないんです

マヨぱんの「クリエイター」に向けてのメッセージ
昨今のクリエイターに対する誹謗中傷
一般人でもうけてしまうSNS上での誹謗中傷
そんなアンチコメント、クソリプに対する支えとして十分なメッセージ性はあったと思います
綺麗なヨルクラはある意味眩しすぎて刺さりすぎてしまう
マヨぱんは闇であるがゆえに汚れててもいいんだという優しさも感じました
だから終わってしまったことが寂しく感じます
もうちょい動画を続けて、ファンと一緒に馬鹿やってほしかったと思いました
もう一歩ファンと向き合って、1話でまさ吉にボロクソ言ってきた食堂の店員からビール奢ってもらうくらいのファンとの寄り添いを感じさせてくれたらなあと未練がましく思ってしまいます

ヨルクラは「クリエイター」だけではなく、「推し」をする「ファン」に対しても寄り添いました
アンチコメントやクソリプという心が通じ合えない問題を通して、「推し」の尊さ、ファンとして支えるという気持ち、光が際立っていました
だからこそ心に残ったように思えます
これからも推したいという気持ちがずっと残ったように思います

というわけで、「汚いヨルクラ」の前評判どおり、
ヨルクラの裏面というか、闇面というか、アンチ方向を掘り下げたマヨぱん

どちらもよい作品です
ヨルクラとマヨぱん
両方見て楽しんでくれるといいなと思います


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