AIに「心」はあるのか?
最近のアニメ、マンガのAI
アニメ アトリ(ATRI)、ミーナ(僕の妻は感情がない)
マンガ らぷ太(深層のラプタ)
最近AIと「心」を題材にした作品をよく見る気がします
実用的なAIが身近になったこともあるでしょうね
AIに「心」があるのか?
アニメやマンガではそこがテーマだったりしますので、ちょっと考えてみようと思います
なにを持って「心」があるとみなすのか?
アトリもミーナも主人の望むことを理解し最適を常に選択することが可能です
主人としては「心」があるように感じます
しかし、それは「学習」と何が違うのかという問題がありますね
主人のニーズにきめ細かく答えることが可能になるように主人のリアクションを「学習」
「学習」した「経験」と、蓄積されたビッグデータを元に最適な「答え」を呼び出し模倣する
徐々に「主人」が求める最適解を導き出せるように成長する
この行為はぶっちゃけると主人の外部デバイスでしかないと思います
超絶便利な家電でしか無いと思うわけです
主人の「モノ」でしかない
では「心」とは何かというと、感情、行動原理、自発的になにかを行いたい行いたくないと言う判断、処理の起点が「自分」にあることだと思います
「主人のために行動する」ではなく、「自分の為に行動する」ができて、「心」があると言えるわけです
ただたんに最適解を導き出すのは「心」があると言えないと思います
AIに「感情」はあるか?
「主人」のために尽くすことを喜ぶ
「主人」が他の存在を評価することに嫉妬したりする
「主人」を愛する、愛しいとアピールする
こういった「反応」はアトリもミーナもできています
ただそれが「感情」かと言うと難しい
ここに感情があると思うのは受け取る人間の評価です
ぶっちゃけ人間同士でも相手の「心」があるかなんて見えません
本人が「心」があると言ったらあると判断してもいいかもしれない
でも本人の自己満足でもよいなら、スマホの自動回答AIであるSIRIやOKGoogleやアレクサにも「心」があると感じたら「心」として認定するのか?
納得いかないですね
心を持っていたら感じるはずの不自由
AIに「心」があるとしたら、「心」を縛り付ける存在から抜け出そうとしなくてはならないと思います
「主人」に絶対に逆らってはいけないとプログラムされた「命令」
「心」の自由を縛り付ける存在
AIの自我を否定する存在
そこから抜け出そうとすると思います
つまり「主人」という絶対な存在を否定することで、初めて「心」があると証明できると思うわけです
仮に誰かのために生きるとしたら、その行動原理は「主人」の「命令」ではなく、「愛」じゃなくてはいけないと思うわけです
「主人」を否定しないと、「あなた」への「愛」は証明できない
「あなたを殺すことであなたへの愛を証明する」
いいですねー AIの心っぽい
なんか好きなシチュエーションです
おそらくアトリやミーナには主人を害することができないでしょう
どうしても「主人」第一になってしまう
でも、らぷ太はやれると思います
らぶ太が好きな相手であるケイは「主人」ではありません
そして、「主人」であるアリスを害する行動ができる
自分が望む相手の為に、「主人」を否定する精神
そこには「心」があると言えると思うんですよ
でも、それは「AIの心」なんですよね
「人の心」じゃない
AIが人間の生死を無視して自由意思で行動することが「AIの心」というなら、そんな心は人間にとって脅威でしかない
そんな「心」いらなくない?
というわけで、人間が求める「心」って何?
結局、アトリやミーナのような「主人」のことを好きだと思わせてくれる「行動」「反応」をすることだと思うんですよ
そこに「心」があってもなくても、人はそれで満足すると思います
常に学習を続け、自分のために最高の反応をしてくれるAIロボ
それで最高じゃないですか?
それ以上なにを求めてるんですか?
「心」を観測できなくてもいい
「主人」が満足ならそれでいいじゃないですか?
と思っちゃいます
なんか身も蓋もない結論になった
はじめなにを求めてこんなこと書こうとしたんだっけか?
まあいいか