再び今からって。
この世に奇跡もなんもない、あるのは自分の気持ちだけ。再発信を決めて向き合って考えていると憂鬱になる。大丈夫なんだろうか。この先の私は大丈夫なんだろうか?
今、すでに大丈夫では、ないのに……
励ましの言葉だってむなしく響く。
誰にとっても世は無情、冷たくて恐ろしいから。優しさなんて今さらありえるはずもなく、憂鬱はますます高まる。
わかってる。みんな、この憂鬱と隣り合わせになりながら、よくわからない明日に備えて色々したり考えたり、自分でもっと楽しくなるように工夫して明日を迎えてるってことは。
例えば、調子よくかけていた小説をふと書き止めして、お楽しみは明日にねって続きのたすきを明日に預けたりね。
世は無情でも、私たちがそうとは、限らないみたいにね。
こんなふうに考えたりして憂鬱を吹き飛ばそうとしたりね。
そう、自分一人でも「楽しい」工夫はできる。
知っての通り、大丈夫ではない私だから、こうしてコーティング加工も必要になるけれど、必要になるのがわかるってことは少しでも私自身のことに今度は気がついてあげられているって意味だから、少しは胸をはって、自信をもって。出迎えてあげたい。
「おかえりなさい」
って。私が、私に言いたい。
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