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わたしの足の話をしよう

わたしの足は災難な子だ。

持ち主のわたしがドジなせいで通算3回は骨折しているし(もっとかもしれない)(うち1回は甲も腱もざっくりいかれた)
しょっちゅう爪を剥がれてはシャワーまで洗われることもなく、消毒されることも何をまかれることもなく
靴下だって持ち主のわたしがそこまでこだわらないから、新しいべべにもそうそうありつけない。

おそらくわたしの体のパーツの中で最も不憫な存在だ。心のほうがよっぽどいい暮らしをしている。ストレスだのなんだのに神経焼き切られようが、心には薬が供給される。他人にやさしくしてもらうこともできる。

しかしヤツは違う。
走ったら遅いと笑われる。歩いたら、持ち主のせいで靴を歪めてしまって友達に「お前の足、平行四辺形」と言われる。靴屋に行ったら「親指が長すぎる」と言われる。28年生きてきてようやく持ち主に「おまえサイズ23.5じゃなくて24だね」と気づいてもらえる。
痛くても熱が出ても運が良くて氷嚢を充てがわれるだけ、気まぐれに消臭のために手入れしてもらえるくらい。

先日は靴に頓着しない持ち主のせいで健康診断中に靴の底が抜けた。持ち主より余程恥ずかしかっただろう。ニョロニョロの描かれた靴下が公衆の面前にさらされたときの気持ちは想像もつかない。靴下はいわば下着なのだから。
その後靴屋に行ったときヤツは靴擦れもしない柔らかい24サイズのスニーカーに包まれてどれだけ安心したろうか。

そんな感じで不憫に定評のあるわたしの足ちゃんは、それでもとても頑張り屋だ。
まず持ち主であるわたしを毎日乗せてくれる。痣ができて「いつできたの?」と聞かれても誰にやられたとは言わない。手にこっぴどくいじめられて手が「マア!!血だらけじゃないの!!」と大事に大事に洗われているあいだも血小板でがんばって止血している。

体の中で一番マッチョなのもヤツだ。そんな理由でダイエットのときは酷使される。筋肉量が多いほうが消費カロリーが大きいから。
手なんか商売道具であるのをいいことにムチムチである。胸なんか稼いでもいないの に脂肪をヒモにしている。

だからこの子に「来世でもいっしょにいようね」と言ってもきっと嫌がられるのだろうが、この子は他の子たちと比べて一つだけ大きな利益を享受している。
「もっとも人目につかない」ということだ。目のように「喋るときは相手の目を見なきゃだめ」と言われないし口のように「きれいな言葉を使いなさい」とは言われないし手や胸のように輪っかで拘束されることもない。尻のようにセクハラも受けない。水に入ったら真っ先に隠れることができる。

たぶんこれだけがこの子の救いだと思う。見栄を張らなくていい、苦手なこともしなくていい、暴力も振るわないでいい、ただ健気でありさえすれば。ただ動きさえすれば。

最後はわたしが大事にしてやればいいだけなのだ。ケガをしないように、爪やハサミを突き立てるのをやめてやる。怪我をしたら洗って消毒して時には病院に行ってやる。こまめに保湿してやる。折ったらきちんと松葉杖を使ってやる。

でもなぜかそれができない。だから不憫なのである。

いつか私が業火に焼かれる日が来てももしかしたらこの子だけは翼を生やして輪を輝かせ高く高く昇っていくかもしれない。陽の光を一心にあびるかもしれない。わたしは動けないからそのまま焼けて灰になるかもしれない。そうして私の良心としてこの足だけが生き残るんだとしたら、この足にとっても、大事な大事な心と等しく死は救いなのだと思う。

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