受験シーズンに思い出す野外炬燵
大学受験生だった頃。
1年以上に渡る努力の成果をわずかな時間で解答用紙という形に認め、その出来に期待と不安が頭の中を駆け巡る中、試験会場を出て目を疑いました。
外に畳を敷き、炬燵にこもりながら受験生を手招きする大学の先輩方がいたのです。
どうやら熱々の鍋を振る舞っている様子。
「なんて変な人たちなんだ」と思うと同時に、「こんな人になってみたい」と少し憧れる自分がいました。
私はあの野外炬燵の住人のどこに惹かれたのでしょう?今考えてみると「楽しそうだった」というのが大きい気がします。
大人たちの言うことを守りレールの上を邁進してきた私にとって、いや、そんな私だからこそ、小さな自由を謳歌する姿を見せつけてくる先輩方が輝いて見えたのでしょう。
結局、そんな変な人の一員になる勇気はありませんでした。しかし、ちゃんと楽しく歩くことはできています。可笑しくなったから楽しいのか、楽しいから可笑しいのか、そもそもみんな可笑しいのかもしれませんね。
つまり、楽しいはもっと別のところにあるのかも。
それはそうと、私もいつか熱々の鍋を振る舞える人になりたいな、と未だに思うこの頃です。
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