「十一人示」第四帖
見えもせん先の〈みち〉の事ばかり心配する人多いが、そんな人〈あしもと〉見えなくなっているから、気の毒出ているのぞ。
そんな人〈悪し元〉見えんから、いくら金稼いでも、人心集めても、まだまだ足りんと案じておるが〈あしもと〉しっかと見えておれば、金無うて身魂一つになったところで何にも心配にならんぞ。
〈あしもと〉見えたら〈御霊の国〉のお土、ぬかるみ固まって〈足元〉しっかとするから、身魂一つでも心勇んで歩めるのぞ。
この方の歩むところ、どこでもしっかとした〈道〉出来てくるのなから〈あしもと〉見よ〈みち〉知ってくれよと、くどう申しておる事、まだ気付かんか。
今の人〈悪し元〉よう見らんから、〈未知〉の先の事見ようと、目を細くしておるが、そんな事では余計に〈あしもと〉の〈みち〉暗くなるばかり。
〈みち〉暗いから、すれ違う人みな盗人か人殺しかと、要らん心配する事ばかり。
要らん心配してばかりなから、いくら金持っても、いくら人心集めても、身も魂も〈満ち〉足りん事ばかり。
身魂〈満ち〉足らんから、もっともっとと欲出しては、皆の心も去りゆくばかり。
皆の心去り行くから〈御霊の国〉の里、冬枯れて寂しゅうになって〈身魂の苦に〉なるばかり。
こうなって〈我枯れて〉仕舞ったら、気の毒で仕様がないから〈あしもと〉見よ、〈みち〉知れてくれよ、と何度も申しておること、よく気付けて置いてくれよ。
〈みち〉の先に冬近づいても、この事腹に入れたら身魂温いぞ。
十二月十三日 果にある樹着く