「十一人示」第八帖
苦の道、外に見える未知ぞ。苦の間、内に見る未知ぞ。
未知知らん人、悪し元の道にありもせん悪し見て腰ぬかしてしまうから、恐ろしゅうて叶わんから、知らん事知るより先に、九の間に悪しもの閉じ込めて戸に鍵かけてしまうぞ。
我善しのずるこい人、本当はこの事知っておるのざが、我良しの夢に浸っては、他人の挙げ悪し取るばっかりぞ。
こんな事くらい、いくら落ちぶれて目眩、片輪になったとて知らん道理ないぞのざが、今の人誰悪し、彼悪し、と申しては戦ばかり。
十の奥の道理、十一人の道理に善しも悪しもないから戦要らんのぞ。
九は知らん、苦は嫌ざと目を閉じるから瞼の裏に、悪しもの浮かんでおるだけぞ。ありもせん悪しものと戦して、骨折り損のくたびれ儲けざと申しておるのぞ。
今の人そんなちょこい事も分らんほどに落ちぶれてしまっているから、足元見よ、戸開けよとくどう申しておる事まだ分らんか。
足元見えたら道しっかと踏みしめて歩けるのぞ。心勇んで参れば九の間、供の道開けてくるぞ。
開けてきたら苦しい事、難しい事だんだんと減って心軽くなってゆくのざが、お陰欲しゅうて道開く人に未知開かれんぞ。
未知見とうて目が開くのぞ。道歩みとうて足動くのぞ。無垢の心の馬鹿力というものぞ。十一(とおと)の一(ひと)の元から湧くものであるぞ。
今日の人示(ふで)何にもこむつかしいことないぞ。
2月19日:、に○7尽く