「生きる☆サブカル青年」⑤

これは良い、悪い、正しい、間違い、こう在るべき、こう在ってはならない、格好いい、格好悪い、それもこれもバランス良くいい塩梅に。


意見、意見、反論、反論、意見、反論、調和、調和、意見、反論・・・


このところ、僕の周りはそんな言葉ばっかりの言葉でまるで暇潰しにもならないので、そんな時は木工用ボンドが乾いて透明になるのをじーっと観察していたほうがだいぶマシなくらいだ。

いつものように深夜のファミレスで飛び交っているそれらを聞いていると、いつか付き合いで行ったミニマルアート展だかで見た作品(笑)の数々が脳裏に浮かんできた。
正方形のキャンバスを白く塗っただけのやつとか、真っ黒い球体に丸描いただけのやつとか、その意味を「分る分る」という風に頷くオッサンとか。

それで、そういうのにいちいち皮肉笑いするのも非生産的なので、それらを全体を俯瞰で見て一つの作品としてみたらデビッド・リンチの変な映画くらいには面白くなるんじゃないだろうか、と冗談半分に考えていたら聞きなれた台詞で我に返った。


「おーい、森くーん!また宇宙と交信中?」


ふと我に返ると何か妙な感じがしてならない。僕は大体いつも妙な感覚で居ることが多いのだが、最近どうにも“この”妙な感じがしてならない。
“この”妙な感じというのは「僕がここに居るのか?それともここが僕の中にあるのか?」という感覚で、それは僕がいつもぼーっとしてるからでも、ざらに数日何も食べなかったり、ましていつも財布に小銭くらいしか入っていないからでもない。

それはよく聞く現実感の喪失とか、何かの本で読んだ精神病だかの症状でもなく、まるで物事が僕の中で予定調和していくような感覚で、同時に僕が物事の中で予定調和していくようでもある。

例えばさっきまで僕の中でうんざりするほど退屈だった、深夜のファミレスでの会話も、僕がぼーっと退屈を紛らす方法を考えている間に言葉のコラージュみたいになってくる。
すると僕はその言葉のコラージュに創造性を刺激されて、新しいバンドでやる曲の方向性が浮かんできたりする。
そういえば今日はその新しいバンドの方向性を決ようという事で、ここに集まったので、コラージュみたいな、やや脈絡を欠いた継ぎ接ぎみたいな音楽をやりたいと僕が思いついたのは、まるで予定調和だ。

と、そんな予定調和を奇妙に思っていると、僕の中の奇妙な感じを打ち破るように、つーちゃんから突然電話(その場に居た仲間のケータイに)が来た。こんな時間になんだろう?と思って電話に出ると「なんだか森君が心配で」との事だった。丁度いいので最近の妙な感覚の件について話でもしてみようと思って僕の部屋で会う事にした。

僕は今ケータイ電話を持っていないので先に部屋で待っていたほうがいいと考えて急いで部屋に戻ると、つーちゃんがアパートの前で白黒のボーダーTシャツ着てぴょんぴょん跳ねながら、なんか手を振っていた。

つーちゃんは痩せこけて長身なので、その姿はまるで活きのいい藪蚊のようで思わず噴き出してしまった。


「んだよー、何笑ってんだよー。めずらしく元気かよー」


という彼女のどうって事も無い言葉には、僕の妙な感覚が付け入る隙もない頼もしさだけがあった。

いいなと思ったら応援しよう!