「生きる☆サブカル青年」④
ー津夜子(つーちゃん)の記憶ー
少女時代、まだ家族が居た頃、どうしてかハッキリした理由は分らないが私の母はだんだんと壊れていった。
その頃の私は学業を終えて帰る時「今日はどんな母が家に居るんだろう?」と、不思議な事を考えながら下校したのを覚えている。
というのも当時の母は気分の変調がとても激しく、学校へ行く時の母と学校から帰宅した後の母が別人になってしまったように見える事が多かったからだ。
そして結局当時の私には何も分らないまま、母は自らの命を経った。
中学校時代にその一件があってから、私は自分の性的な成長を半ば無意識に拒むようになっていた。
それでも多感な年頃には好きな男の子くらい居たのだが、相手との距離感が近くなると突然強烈な嫌悪感に見舞われて衝動的に突き放すような言動をしてしまうのだ。
今思えばそれは「母のような女になりたくない」という強烈な思いから出たものだったように思う。
デレデレと甘えていたかと思えば些細な事で父を激しく責め立てる。それで父がとうとう別れを決意すると母は家を出て、しばらくすると戻ってきては泣いて縋ってまた元のサヤに収まる。そんな事を繰り返す度に少しずつ壊れていく母を見るのも自分の中に似たものがあるのも、内心嫌で嫌で仕方が無かったのだろう。
10代の多感な年頃の私にとって、女という生き物は男に甘えて、縋り付いて憎んで傷つけて、結局自分や周りを壊す。ただそれだけの憐れな生き物でしかなかったからだ。
そんな私が森君に出会ったのは24歳になった頃だった。彼のやっている音楽は私には難くて理解できそうになかったけど、どこか赤ちゃんの泣き声のようで「私がちゃんと聞いててあげなきゃ」という気持ちにさせられた。
彼は彼で「つーちゃん、つーちゃん」と何かと私を慕ってくれるので、私はますます面倒を見てあげたくなった。
だって、ちゃんと見ててあげないと本当に衰弱死寸前で倒れてたりするんだから。
そんな彼と沢山の時間を共有するうちに、あんなにも否定していた自分の中の女っぽさや母性的なものが、今になって私の心を温かくしてくれていると実感せざるを得なくなっていた。
もしかしたら奇怪な言動で私を振り回す森君の中に、私が忘れてしまった母との温かい記憶を見ているだけなのかも知れない・・・
いずれにしろ、私の心は前よりは軽くて温かい。
だから私は素直にそれを受け入れて、森君との奇妙な間柄を大切にする事にした。