「あっぱれ!誤魔化し大明神!」1話
「誤魔化し大明神」
僕がそう呼ぶのは、アルバイト先の自己啓発セミナーをやっている会社の社長の事だ。
正直に言うと僕は彼がセミナーで公演している内容や質疑応答の時に彼が話す事を冷ややかな目で見ている。
彼が公演で話すのは「全ての悩みや現実は、自分の脳ミソの中で生じた恐怖と脳内物質が見せる、ただのまやかしなので、そんな幻覚みたいなものは気にしなければよい」という、そんな事を言ったら身もフタも無いような屁理屈みたいな内容だ。
頑張って共感しようと思えば、一理あるような気もしなくもない、でもそれが本当なら、ただただ退屈なだけの話でしかない。
時々困難に直面して、すごく悩んで落ち込んで、それでも何とか乗り切った時の感動や喜びがあるから人生は面白みがある、少なくとも僕はそう思うし、たぶん多くの人もそうだろう。
実際彼が言う事が真実だとしたら・・・と想像してみると、思考も感情も鈍くなった“生ける屍”のような自分になるのが容易に想像できる。
ただ不思議なのは、社長本人は公演で話している事を信じきっているように見えるのに“生ける屍”と呼ぶには、いささか人間臭さ過ぎる事だ。
割とイライラしてる様子を見ることも多いし、妙にセンチメンタルな時すらある。
この世の全てが幻覚である、と本気で思い込んでいる人間が、セミナー会場の予約をするのに、担当者の手際が悪い、なんて事くらいでイライラしたりする道理が僕にはさっぱり分らない。
いや、そんな事くらいでイライラする道理が分らないのではなくて、彼が本当に屁理屈じみた自分の考えで自分を誤魔化しきれているのか、甚だ疑問だ、というのが正しいかも知れない。
僕から見たら、そんな不可解な人物でしかない社長なのだが、そんな彼の公演を聞きに少ないながらも足繁く悩める子羊達が訪れる。
その内7割程は「胡散臭い」「浅はか過ぎる」と一笑に付して、冷笑と時間をムダにした憤りの入り混じった表情で足早に立ち去っていく。
残りの3割程の子羊は、彼の言葉にしがみつくかのように、何度も訪れては日々の悩みを相談し、何度も毎度おなじみの「それはアナタの脳が生み出した幻覚だから、気にしなければいい」というような調子の助言を有難く頂戴して少しだけ晴れやかな顔をして、現実世界に戻っていく。
極々平凡な物の見方をすれば、彼の言う「この世は全て自分の恐れを脳が生み出すただの幻覚、実在しないのだから恐れなければいい、気にするほどの事でもない」なんていう話しでは、今時、子供の目すら誤魔化し切れない、低俗なインチキ商売といったところだろう。
それでも溺れる者にとっては、そんな誤魔化しでも無いよりマシなのだろうと僕は思うし、彼を信じる子羊にとっては、非情な現実を生きるための、たった一つの儚い希望ですらあるのかも知れない。
事実、一度彼の言うことにハマった人達は毎回同じような事しか言わない彼の言葉や存在を崇めて奉っているように見受けられる。
そんな諸々の様子をスタッフとして冷静な目で観察するうちに、いつしか僕の中では彼を「誤魔化し大明神」というあだ名で呼ぶようになっていた。