「十一人示」第七帖


秋越えて、冬来たら、十(戸)の外に居る一(ひと)どんどん寒うなってしまう事、頭使わんでも分ることなれど、今の人大学出て博士になって、そんなことも知らん人多いぞ。
そんな人達、他人(ひと)のせいだ、お上のせいだと言って溜飲をさげておるようざが、それでは他人(人)の戸も、自分の戸も閉じるばかり。
そうして苦(く)のみち(未知)ばっかり歩いて、寒うて寒うてよう耐えられん、そんな風では春来ても益々寒うなるばかり。
自分も人(一)で他人も人(一)なから、一(人)の戸開いて、九(苦)の間の奥の戸(十)開かんことには、温くならん道理申し付けた事もう忘れたか。

それならもう一度、この道理気付けるから今度こそよく聞いて胎に納めてくれよ。

人(一)の中に苦(九)の間あるぞ。ここの(九の間)暗ろうて何も見えんから、この人(九の一)怖なって腰引けるが、目が慣れてきたら足元(悪し元)だんだんに見えてくるぞ。
見えてきたら九(ここの)間じりじり進んでゆけるぞ。進むうちまた目が慣れてきたら、苦(く)の道歩むこと、悪し元見らんせいと見えてくるぞ。

そうしたら愈々奥の十(と)開けるから、十一(とうとひと)の間に靴ぬいでシャンとして襟整えてから上がれよ。
十一の間の尊人(とうとひと)、十(戸)の奥の間に人上がるの、今か今かとずっと首を長うしておったのなから、土産無うても構わんぞ。
十一(とうとひと)の間に、ひと(一)上がって尊い方喜ばれたら、喜ばせた人(一)心温うなってくるから、十分温もった一(人)も尊人(十一)であるぞ。

この仕掛け、何より結構な仕掛けであるが人(一)の頭ではなかなか分らんように出来ているが、分らん人(一)分らんままでよいのぞ。がらんどうのすっからかんの冬晴れの頭、十一の間のようで十分結構。

知らん事恥じる人、知ったかぶる人、知った気でいる人、本当の冬来る前に気付いて悪し元の未知見よ。一(人)の戸明けよ。


二月十六日 課に歩き付く

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