1期を通してのぼっちの喜多ちゃんと結束バンドへの思い
10月から始まった「ぼっち・ざ・ろっく」もとうとう終わりを迎え、激しい喪失感に襲われる毎日を過ごしております。
そのような中、最終回である12話の文化祭ライブの劇中歌「星座になれたら」(歌:結束バンド、作詞:樋口愛、作曲:内藤英雅)のリリックビデオを視聴していたら不思議と涙が出てきたのです。
最初は終わってしまったことを実感しての涙であると思っていたのですが、どうもそれだけではないようでした。
そこで何回も視聴し歌詞や映像に触れていくうちに、この曲は作詞したぼっちが喜多ちゃんと結束バンドへの思いの丈を綴ったものであると感じ、まさに最終回にふさわしい今までの総決算のような、そしてこれからの未来を感じさせるような曲であると理解できました。
そこで、とめどなく溢れるこの歌への思いをどうすれば消化できるかと考えた時、このnoteを使って歌詞や映像から感じたことを考察して述べていこうと思ったのです。
私はこうしてブログを書くのは初めてなので稚拙な部分もあるでしょうし、感じ取った意味も間違っている部分や他の様々な解釈もあると思いますが、どうか温かい目で見てやってください。
また本文は歌詞と共に、このリリックビデオの映像も引用して書き出しているので、まだ視聴していない方はぜひ先に以下の映像を見てから本文を読んでいただけると幸いです。
1. そもそも喜多ちゃんがいる場所はどこ?
まず最初に1秒だけ映る全体像、これが非常に興味深いのです。
最初に見ていた時にはなんとなく、物語の舞台であるライブハウスSTARRYから出た所かと思い込んでいました。しかしどうも真横の踏切や階段の手すり、そして北沢二丁目23という、STARRYのモチーフとなったライブハウス下北沢SHELTERとは異なる住所に違和感を覚えたのです。
そこで詳しく調べてみた所、ここは下北沢駅の西口南側の出入り口の階段から出た所ということが分かりました。
この下北沢駅を利用するのは、同じ学校から来ている喜多ちゃんとぼっちの二人であるため、映されてはいないものの喜多ちゃんの傍にはぼっちの存在があると考えられます。
そしてこの描写は駅の階段から出たところなのか、それとも入るところなのかという疑問も生じます。
そのことも考えながら、最初のAメロから考察していきましょう。
2. ぼっちにとっての一番星
時間は6時を示している上に帰り道とまで記されているので、映像の描写はSTARRYでのバイトやバンド練習を終え、喜多ちゃんとぼっちの2人が帰っている様子であることが分かります。
また喜多ちゃんの指している指だけ見るとまるで今からSTARRYに向かおうとしているようにも見えますが、これは進む方向を指しているのではなく、空に浮かぶ星を指していると考えられます。
また、「影を踏んで夜に紛れたくなる」という時のこの足元を映す描写は、ぼっちが、眩しい存在である喜多ちゃんの影に隠れてしまいたいと思っているようにも感じます。
「どんなに探してみても 一つしかない星」
この歌詞が流れた時に、映されている喜多ちゃんにピンク色のフィルターがかかっています。これはつまり喜多ちゃんのことを見るぼっちからの視線であることを表現しているのではないでしょうか。
そしてぼっちから見える喜多ちゃんが、まるで星と同じような形になっているため、ここでの一つしかない星というのは喜多ちゃんであると考えられます。
つまりぼっちにとって喜多ちゃんは、何億光年離れていたとしても輝いて見える、そんな一番星のような存在であるということです。
3. “僕”と“君”
みんなから愛される“君”…これは喜多ちゃんのことで間違いないでしょう。
そしてみんなから愛される“君”のことを見る“僕”…これは喜多ちゃんとは正反対に、ずっと孤独だったぼっちのことであると分かります。
なのでこの歌の“僕”はぼっち、“君”は喜多ちゃんのことを指していると思われます。
4. 星座の意味とぼっちの願い事
星座になれたらという時の映像には、結束バンドの4人のイメージカラーであるピンク(ぼっち)、赤(喜多ちゃん)、黄色(虹夏)、青(リョウ)の4色の星が映されています。
これはそれぞれの星が繋がってひとつの存在になっている星座のように、4人それぞれがうまく繋がりあうことで結束バンドの成功へとつながることを指していると思われます。
つまり星座になる=結束バンドの成功ということです。
しかしそれだけではなく、4つの星以外にもちろん喜多ちゃんも映されています。そして「“君”と集まって星座になれたら」という歌詞。
これらから、星座になれたらという言葉は結束バンドの関係と、喜多ちゃんとの関係の両方を表すダブルミーニングなのではないかと考えられます。
これは空を見上げた時に指を差される光輝く星のような、注目されるバンドになりたいということでしょう。
ただそれだけではなく、「星降る夜 一瞬の願い事」と「空見上げて 指を差されるような」という言葉が、上記の画像を見れば分かるようにピンク色と赤色で示されているのです。
なのでやはり結束バンドだけではなく、ぼっちと喜多ちゃんの関係性もフォーカスされていると思われます。
そして「星降る夜 一瞬の願い事」はピンク色、
「空見上げて 指を差されるような」は赤色。
つまりぼっちは、まるで一番星のような存在である喜多ちゃんのように輝きたい、という喜多ちゃんへの憧れからくる願いも持っているのではないでしょうか。
先程のBメロで示したように“僕”というのはぼっちである可能性が高く、
「僕がどんなに 眩しくても」の文字の“僕”と“眩”もピンク色になっているため、発言者はやはりぼっちであると考えられます。
そこを踏まえたうえで、この歌詞を結束バンドに向けた言葉と考えるとこの言葉は、ギターヒーローとしての自分がどれだけ優れていたとしても、輝いて見えたとしても、結束バンドの縁は解かないでほしいというぼっちの更なる“願い事”であると思うのです。
確かにギターヒーローとして一人で演奏した方が上手な演奏を見せられるし、もしかしたらギターヒーローとしてデビューした方があなたの為になる、と言う人が現れるかもしれない。
それでも私は結束バンドとして皆で演奏したいんだ、
というぼっちの切なる願いが伝わってくるように感じられます。
そしてこの歌詞を喜多ちゃんに向けた言葉としても解釈してみましょう。
「僕がどんなに眩しくても」
喜多ちゃんにとって、ぼっちが眩しく見えるのはいつでしょうか。
そう、それはギターを弾いている時です。
ぼっちは結束バンドの中でも飛びぬけてギターが上手い一方で、喜多ちゃんはギターを始めてからまだ日が浅いです。
そんな中大きな実力の差や他の苦悩で、私じゃなくてもいいんじゃないか…
そう思ってしまうことがあるかもしれません。
実際原作でも、ぼっちのように人を惹きつけるような演奏はできないと感じたり、とあることで自信をなくしてしまったりすることもあります。
それでもぼっちは喜多ちゃんじゃないといやだ、私は喜多ちゃんがいい、だから何があってもつないだ線を、この関係を断ち切らないでほしい…
そう願っているのではないでしょうか。
5. 離れ離れになった二人
時間は8時を示しており、1番Aメロの6時の映像とは違い明らかに暗くなっています。
そのため帰り道から2時間が経過して空に満天の星が見えるほどの夜になってしまったことが分かります。
そしてライブハウスSTARRYから家まで帰る時間が2時間であるぼっちは、既に喜多ちゃんと別れて帰宅しているでしょう。
そのためぼっちにとっての一番星であった喜多ちゃんの姿はもうそこにはいません。
だから「何億光年離れたところにはもうないかもしれない」と不安になっているのです。
6. 月が示す存在と涙の理由
このシーンでは喜多ちゃんの部屋が映し出されるのですが、「泣きそうになるのは」では「星座になれたら」の歌詞が映されます。
そもそもこの言葉を作詞したのはぼっちで、歌詞も映し出されていることから、泣きそうになっているのはぼっちであると考えられます。
ではなぜ、月が綺麗で泣きそうになっているのでしょうか。
「月が綺麗で」のシーンでは喜多ちゃんのギターが月に被るように映し出されていますが、実はこの動画の最初にもこれと同じような映像が映されていたのです。
上は4つのシーンを1つにまとめたものですが、このように動画の最初の十数秒で4回も、月に喜多ちゃんを被せて映し出していたのです。
これらのことからおそらく月は喜多ちゃんを示す存在なのではないかと思われます。
そして月を見て泣きそうになるぼっち。
これはつまり、帰宅したぼっちは月を見た時に、喜多ちゃんを思いだして泣きそうになったということでしょう。
「いつの日にか 別れが来るから」で映される喜多ちゃんの部屋の周りには、1番の「いいや 僕は ずっと一人きりさ」で描かれていた筈の月が無くなっています。
月が喜多ちゃんの存在を示すとすれば、喜多ちゃんとのいつか来るかもしれない本当のお別れが仄めかされているのでしょうか。
今はただお互いの帰り道で別れただけで、またすぐに学校やライブハウスで会えるけど、いつの日にか本当の意味で離れ離れになってしまう日が来るかもしれない、そう思っているのかもしれません。
やっぱりぼっちはずっと一人きりは嫌なのでしょう。中学までずっと話す相手もいなかったぼっちにようやくできた友達なのですから。
だからこそぼっちは、これからもずっと一緒に喜多ちゃんと居たいと願い、月を見て泣いてしまいそうになったのです。
7. 二つの願いと最初と最後に叶ったひとりごと
ぼっちの最も切なる願いを込めたひとりごとは何でしょう。
それは間違いなく、中学1年の時から言っていた“あの”言葉だと思います。
ここで1話冒頭のぼっちを思い出してみましょう。
「後藤ひとり中学1年生 たまに思う、このままでも良いんだろうかって」
「バンド組んだら私みたいな人間でももしかしたら輝ける…?」
「決めた、ギターうまくなる! それで、学校でバンド組んで…それで文化祭でライブして皆からちやほやされるんだ…!」
そう、ザ陰キャのような日々を過ごしていた自分でも輝きたいと思い、始めたギター。そして始めた時に強く願ったことは、学校でバンドを組むこと、そして文化祭でライブをすることです。
ですがその願いは中学3年間で叶うことはありませんでした。
しかしその願いは、高校1年生にして遂に“誰か”に届くのです。
ではその誰かとは誰を指しているのか、ですが…もうお分かりですよね。
それはもちろん結束バンドの皆です。しかしそれだけではありません。
喜多ちゃんだけにも届いているはずなのです。
1番サビと同じように見てみましょう。
「彗星みたい 流れるひとりごと」はピンク色
「切なる願い 誰かに届いたら」は赤色になっています。
なのでぼっちの彗星みたいに流れてしまったひとりごとは、切なる願いは、間違いなく喜多ちゃんにも届いているのです。
中学までは、暇つぶしに夜の淵をなぞるくらい孤独だったぼっちですが、結束バンドに出会うことで、学校ではないもののずっとしたかったバンド活動をすることができ、今までの生活から大きく変わることが出来ました。
これがアニメ1話で叶ったぼっちのひとりごとです。
そして喜多ちゃんに届いて叶ったひとりごとは何か。
それは最終回である12話の…そう文化祭ライブです。
ずっとしたかったはずの文化祭ライブですが、ぼっちは勇気を出せずにせっかく書いたバンド出演用紙を捨ててしまいます。
そんなぼっちの背中を押し、ずっと思い描いていた願いを叶えるための一歩を踏み出させてくれたのは喜多ちゃんでした。
ぼっちの本当のかっこいい姿を皆に見せたかった喜多ちゃんが、捨ててしまったはずの用紙を出してくれたおかげで、文化祭ライブをしたいというぼっちの二つ目のひとりごとが叶うことになったのです。
つまり中学1年からのずっと叶えたかった願いが、アニメの最初の1話と、最後の12話で叶い、あの孤独だったぼっちが変われることが出来たのです。
8. 結束バンドは運命で繋がっている
この歌詞の映像には結束バンド4人の楽器が映されます。
つまりこれは結束バンドのことを示す歌詞であるということです。
ざっくり言うと、私たちは遥か彼方から出会ってしまっていたかのような関係で、それは宿命であり、運命であるから何があったとしてもやり直せるということでしょうか。
そして「雲の隙間で」の映像では月から黒い星が消えていく描写や、月に多少の雲がかかっている様子が分かります。
まとめると、例え光に曇りがかかったとしても、何か結束バンドに不穏なことが起こったとしても、私たちは遥か彼方からの運命で結ばれているから絶対乗り越えられるはずだ、というぼっちの結束バンドへの思いが込められた歌詞なのではないかと思います。
9. これからも成長し続けるぼっちと結束バンド
1番や2番のサビでは願い事やひとりごとしか出来なかったぼっちが、最後のサビでは、「夜広げて描こう絵空事」とみんなに語りかけています。
ここからも、最初の孤独だったぼっちから、結束バンドの皆のおかげで変わることが出来てきていることが目に見えてわかるでしょう。
映像だと色とりどり(4色)の光が映され、その後まるで本物の“結束バンド”のような円になるために光がぎゅっと縛られています。
この縛られて余っている光の線も、ぎゅっときつく締めた時の本物の結束バンドの余っている部分によく似ていますね。
また光の結束バンドの中には、結束バンドメンバーの楽器があり、星座のように光が繋がろうとしています。
しかし4人の楽器は殆ど繋がっているものの、明確にぼっちのギターから喜多ちゃんへのギターに向かう光の線が途中で止まっています。
またピンク色の“君”と“眩”という文字が黄色(虹夏)と青色(リョウ)によって部分的に削られています。
これはまだぼっち本来の実力が未だに発揮できていない、結束バンドが完成しきっていないという事を指しているのではないでしょうか。
これらからぼっちは、例えそれが絵空事であったとしても、暗闇を照らすように輝く満月のようにまだ完全ではなくても、少しでも4人の色を放てるような、そんなバンドに成長したい、そう思っているのではないでしょうか。
だからどんなに結束バンドが眩しい存在になったとしても、私はこの運命で繋がっているような縁を、関係を絶対に離したくないというぼっちの強い意思を、『つないだ線 解かないよ 君がどんなに眩しくても』という歌詞から感じ取ることが出来ました。
そして最後はこの歌詞を、喜多ちゃんに向けた言葉として解釈して終わりましょう。
眩しいと聞いて何か思い浮かんだ歌詞があると思います。
そう、5話のオーディション回で初登場した劇中歌である
「ギターと孤独と蒼い惑星」です。
この曲に「眩しい 眩しい そんなに光るなよ わたしのダサい影が より色濃くなってしまうだろ」という歌詞があります。
この時の眩しい存在は十中八九、喜多ちゃんで間違いないでしょう。
まだ喜多ちゃんと知り合って日が浅いこの頃のぼっちは、陰キャ度に拍車をかける喜多ちゃんの陽のパワーに屈しているような、まるで陽への反抗心からできた歌詞を書いていたように思われます。
しかし今回の「星座になれたら」はどうでしょうか。
「つないだ線 解かないよ 君がどんなに眩しくても」
眩しいから光らないでくれと言っていたぼっちが、君がどんなに眩しいとしてもつないだ線を、築いた関係を決して離さないよと言えるようになったのです。
これってものすごく成長してますよね。ぼっちは本当に結束バンドや喜多ちゃんと出会ったことで、今まで全く出来なかった経験を得て、大きく成長し続けているんだなと感じます。
きっとこれからもぼっち、そして結束バンドは成長し続けていく姿を見せてくれることでしょう。
だからいつの日かその成長を、またアニメで見れる日を楽しみに待っています!
ここまで読んでくださった方へ
以上が私の「星座になれたら」の解釈であり、それと同時にぼざろアニメ1期への総決算です。
本当にここまでアニメ映像も、曲も、声もすべてを楽しむことができた最高のアニメは久しぶり…いや無かったかもしれません。
作者様や声優の方々、アニメや曲の制作陣の方々には感謝を伝えきれないほどです。
そして、もしここまで読んでくださっている方がいたら、本当にありがとうございます。ここまで書いた解釈は絶対というのは殆どなく、受け取り手の数だけの無数の解釈があって当然であると思います。
しかし、少しでもあなたのぼっち・ざ・ろっくと「星座になれたら」への理解の一助になれたのであれば幸いです。
それでは最後はぼざろらしく締めましょうか。
センキュー!