短編小説『アブラナと少年と薬。』
…涼しい風が頬をなで、少年は目を覚ます。
誰もいない。ここはどこだ?
木のにおいが鼻をかすめた。もしかして…
あたりを見渡すためむくっと上半身だけ起き上がる。
周りには植物が生えているだけだった。
ここは…山か?
今自分が座っている植物は異様に心地がよかった。
まるでふかふかのベットのようだった。
ああ、このまま寝てしまいたい。
しかし少年はすぐに正気に戻った。それは不可能である。
「どうにかしてここから出ないと。」
ぼそっと独り言を言う。
「…ふーん。ここから出たいんだ。」
少年は驚いた。
誰もいないはずなのに、どこからか声が聞こえる。しかもとても近距離で。
「誰だ?」
少年は身構えた。しかし、やはり誰もいない。
「…ここだよ。こーこ。」
声が聞こえた方を見る。
みると小さなアブラナが体を揺らしているだけだった。
「なんだ、アブラナがあるだけじゃないか。」
チッと舌打ちをしていった。すると
「あるだけとはなんだ。僕はアブラナだよ。」
というお茶らけた声がまたもや聞こえてきた。
ん?どういうことだ。
試しにそのアブラナを触ってみる。
爪でガリっとやるとアブラナはヘナッと少ししおれてしまった。
「痛っ!やめてよ…。一応植物にも痛覚あるんだけど…。」
面白い。今度はくすぐってみる。
「あははっ、ちょっ、やめっ、やめてっ、あははっ!」
アブラナはかすかに揺れている。確かに連動している…ように見える。
これは人間が仕掛けた嘘なのか?少年が疑いの目をしていると、
「ちょっと、疑うの?ほんとにアブラナだよ!」
ほらみてみろと言わんばかりに茎を大きく揺らした。
少年はアブラナの方に顔だけ向けて聞く。
「お前、ほんとにアブラナなのか?」
「だからそうだって言ってんじゃん!…あーあ、せっかくここから出る方法教えてあげようと思ったのに気が失せた。」
「え!?」
思ってもみない言葉だった。少年はとにかくここから出たかった。
「ごめん。信じる。信じるから。教えてくれ…。」
「えー。」
「ほんとごめん。なんでもするから。」
「なんでもする?ほんとに?」
「ああ、本当だ。だからここから出る方法を教えて。」
アブラナは嬉しそうに体を揺らすと突然質問をしてきた。
「じゃあさ。薬ってすき?」
「薬?嫌いだよ。」
言ってから自分が発した言葉に疑問を感じた。薬?意味が分からなかった。
少年ははっとした。記憶がないのだ。目を覚ます前までの記憶が。なのに嫌い、だなんて。なぜその言葉が口から出たのだろう。
少年が困惑しているのに気づかないまま、そのままアブラナは話す。
「薬、飲んで。」
どういうことか訳が分からなかった。
「薬を飲んでくれるっていう約束をしてくれるなら出してあげる。」
「薬を飲むってどういうこと?」
少年が尋ねると、アブラナは不機嫌そうに答えた。
「いいから兄さんはわかりました薬を飲みますって言っとけばいい。」
アブラナの豹変っぷりに恐怖さえ覚えた少年は、
「わかりました、薬を飲みまーす。」
と露骨にいやそうにいってみた。
しかしその嫌味には全く触れず、アブラナは満足そうに体を上下させ
「じゃあ出してあげるよ。」
と言った。
アブラナは少し別れを惜しむようだったが、少年はそこらの不気味な植物と別れることに少しの寂しさも感じるはずがない。ぶっきらぼうに
「出してくれ。」
と頼んだ。
その瞬間、アブラナは大きくなった。いや、こういった方が正しいか。アブラナはアブラナではなくなり大きくなった。
そこには小さな少年がいた。無邪気な笑顔をしていた。
少年はすべての記憶がよみがえってきた。それと同時に自身の身体が軽くなっていき、もうここにはいられないと感じた。
「いやだ!もう離れたくない。戻りたくない。君と一緒にいたい。」
小さな少年はそんな少年を言葉を聞き、少し驚いたような顔をしてからまたあたたかな笑顔でいった。
「大丈夫。僕がついてるから薬飲んで。」
小さな少年の手にはアブラナがあった。それを少年に向けながら話している。まるでアブラナが話しているかのように。
そのアブラナを少年の手に握らせると小さな少年は消えていった。
少年も笑っていた。安心していったような笑顔だった。
そして少年も消えていった。その山には誰もいなくなった。
少年はベットで寝ている。
そのベットのそばで、少年の母親と精神科医が話をしていた。
「すみません。急用ができて。息子に何か変化はありましたか?」
「それがですね、驚くことがありまして。」
「なんでしょうか。」
「さっきアブラナの花瓶に話しかけてたみたいなんです。」
「アブラナ…。」
母親は「アブラナ」というものに何か感じているようだがそれを気に留めず医師は続ける。
「アブラナに話しかけ終わったとき、自分から薬を飲んだんです。」
「自分からですか…?あんなに薬を嫌がっていたのにですか…?」
「はい。私も何が何だか分からず…。答えてくれるはずがないと思いながらもなんで薬を飲んでくれたの、って聞いたんです。そうしたら…。」
「…。」
「薬飲んでってアブラナがいってたんだ、って言ったんです。」
「…。」
「薬も飲んでくれたし、回復してくるといいんですがね。総合失調症。」
そういってから数秒間、沈黙が流れた。
母親が何も言わないことを疑問に思った医師は
「どうしました?」
と心配そうに母親の顔を見た。
医師は驚いた。母親の目には涙がいっぱいに溜まっていたのだ。
「アブラナ…。」
母親はあまりうまく喋れない様子だったがやがて大きく深呼吸をしていった。
「アブラナは私のもう一人の息子…息子から見ると死んだ弟が大好きだった花なんです。昔あなたが担当医ではなかったころ、おなじように薬を処方され嫌がっていた息子にあの子はアブラナを息子に向けてこういったんです。」
医師は何も言わない。黙ってその話を聞いている。
「大丈夫。僕がついてるから薬飲んで、って。」
医師に向かって話していたはずの母親はいつの間にか座り込んで少年に話していた。少年の手の中には1本のアブラナがあった。
ーアブラナと少年と薬
June 8, 2024 歌ノ儚
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