同じ環境にいると他との違いに気づくのが難しいっていうのが関西人の「いける」から思った
ども、かにかまトマトです。カナダでアプリとかを作ってます。
関西人です。30年以上大阪に住んでました。
でも全然気づかなくて、「おー」となった記事をら見つけました。
関西では「いける」という言葉をめっちゃ使います。
関西人の僕にはとても面白い記事でした。
というか自分が無意識に「いける」を多用していることに、まったく気づいてませんでした。
これ以外にも
・相手の都合や予定を聞くとき「火曜日いける?」
・締め切りに間に合うかどうか聞くとき「この仕事いけそう?」
・相手の体調を聞くとき「顔色悪いけどいける?」
・勝負の時「この勝負いける?」
などなど。
よくよく考えると、普段から使いすぎてて、なんでも使えそう。
とても便利な言葉である。
NHKの記事でもあったが、色んな意味にとれてしまう「いける」という曖昧さが大阪人の人懐っこい気質にあっているのかもしれない。
もしかしたら僕の周りの関西以外の人は、僕の「いける」が気持ち悪く感じでいたのかも知れません。
違いに気づくのは難しい
大阪で生まれて、大阪で育って、大阪で社会人になって。
その環境だとまったく違和感がないし、当たり前にみんな使う。
同じ環境にいるだけでは、違いに気づくにがかなり難しい。
もちろんいいとか悪いとかの話ではなくて、自分はそれが方言だということさえ気づいてなかった。周りが違うということを知らなかったってことです。
カナダに来た時も、いろんな地方から来た日本人の間でもズレがあるし、外国人とならなおさらである。これは日本語の方言の話だけではない。
先日も中国人の友達と話していて、その友達が日本の漫画「ハイキュー」にハマっていると言っていました。
僕は「ハイキュー」を見たことないので詳しくは話せなかったが、なにが面白いのか聞いてみた。
するとそいつが言うには、チームスポーツのメンタリティが中国人と全然違うから面白いと。
その中国人からみたら、日本はすごく「チーム」や協調性を意識しているのを感じるらしい。
でも中国ではそんなことはほとんどないと。かなりチームより「個」が強いらしい。
だから中国はピンポンとか体操みたいな個人種目が強いとそいつは語ってた。
ハイキューにそんなシーンがあるのかは知らないし、全中国ではないだろうが、なかなか面白い話である。国民性がめちゃくちゃでている話だなと。
確かに日本は「チーム」が最優先で、そのために個を犠牲にしたりするのが美徳とされた部分がある。そう教えられてきた。
でも他の国ではそれは、必ずしも美徳、いいとはというわけではない。
自分でいかに成果を上げるかが最重要項目であり、個をいかに伸ばせるかが勝負だったりする。べつにチームをないがしろにしてるわけではないが、優先順位が日本とは全然違う感じがする。
ましてや中国やインドみたいな莫大な人口の中で飛び出すにはいかに自分が目立つかにかかっててもおかしくはない。
それはなかなか手強いはずだ。
仕事でも日本人のメンタリティとして、自分の意見を通し切るほど強く主張するのってなかなか難しい。
しかし、海外では昇進したり上の立場に行くときはそういうことも必要になってくる。
日本人にはチームを勝たせるというメンタリティはすごく強いが、個としての表現やハングリーさ、全体を引っ張るほどのリーダーシップなどがいまいち得意ではない感じがする。
日本人が海外で活躍するためには、そういったメンタリティやマインドの違いも気づかないといけないのかもしれない。
ということで
同じ場所にいると当たり前過ぎて気づかないが、外に出るとそれは普通じゃないことに気づいたりします。
なのでたまに違う世界を自分から見に行かなければいけないんだなぁと思います。
そんなことを関西弁を聞いて改めて思った次第であります。
ではでは。