身体は闘争を求める→フィットボクシング2をやる
朝活アーマードコアはまだ一度も成功していない。むずい。早起き難しい。
早起きが難しいというよりかは、昼眠くならないための適切な睡眠時間もしくは睡眠量を取ることが難しい。学生時代は6時間眠れば問題なかった。というかむしろ、6時間でも寝過ぎていると思っていたくらいだ。周りの友人たちは朝までゲームをしてそのまま登校、なんてことをしていた人も多かった。
けれど今では、7時間は最低でも眠らないと昼がしんどい。絶対に昼寝をしたくなる。これまでに何度会議中に船を漕いだかしれない。何なら目の前で説明をしているクライアントの前でウトウトしてしまったこともある。その時、目は開いていても焦点があっておらず、それでいて手元のキーボードは無意識ながらに相手の話をパタパタと入力していた。後で見返したら、お世辞にもメモとは言えない出来で笑ってしまった。文房具屋の試し書きのメモの方がまだまともなことが書かれている。
かといって、睡眠時間を長く取れれば良いのかと言ったらそう単純な話でもない。老人の決まり文句に「眠るのにも体力がいる」というのがあるが、まさしくそんな感じで、0時に寝ても5〜6時くらいに一度目が覚めてしまう。その後、また寝ても30分刻みくらいで目が覚めてしまい、眠った気がしない。結局、満足のいく睡眠が取れていないな、と思いながら出勤するのがここ最近の流れになってしまった。
睡眠薬も病院で処方してもらっているが、最近は効き目が薄くなってきてしまっているように感じる。というか、睡眠が浅いのもこの薬のせいなのか? もちろん一番は仕事のストレスなんだろうが、それはそう簡単に解消できる問題ではない(というか、だから薬を処方してもらっているわけで)。
自分は「眠れない」というより「起きてしまう」タイプの不眠だ。薬を飲まないと、2〜3時間後には目が覚めてしまう。その後、眠れずに延々と布団の中でうだうだと考え事をしている時間は本当にしんどい。諦めてゲームをするなり何なりするのも一つの手なのだろうが、翌日に仕事を控えていたらそんなことは恐ろしくてできやしない(けど、布団の中でスマホは延々と見てしまう)。
とはいえ、闇雲に「眠れないから、もっと強い薬をください」というのも恐ろしい。今は多分、あくまで感覚でしかないが、仕事に慣れてきたらスーッと薬からも卒業できそうな気がする。けれど、もうちょっと踏み込むと、薬に頼らない生活はグッと気合を入れて取り戻さないといけなくなる、そんな感覚がある。まあ、あくまで感覚の話で、実際は全然大したことないかもしれないが。
というわけで、薬に頼らず十分な睡眠を取るために、日曜日くらいからフィットボクシング2を再開した。単純に、日頃のデスクワークで体が鈍りすぎているのもあるし、適度な疲労は良い睡眠をもたらしてくれるというのは散々保健体育の授業でも習ってきた。
ログインしたら、講師のキャラクター(ロシア人のようなビジュアルでかわいい)に「久しぶりね、ずいぶん時間が空いてしまったわね」と言われて、ちょっと凹んだ。と思ったら、最後にゲームをやったのが昨年の6月頃で、「そりゃ『時間が空いたね』くらいの一言も言いたくなるわな」と一人で納得してしまった。そして、自分でも引くくらい汗をかいた。というか、隣で見ていた妻は完全にドン引きしていた。
翌日の月曜日は筋肉痛がひどすぎた。「こんなに苦しめられるとは……」と自分の体の老化に情けなくなる。いつの間にか、フィットボクシング2がしっかり日々の運動としてカウントされるほどの年齢を重ねてしまったんだなと思うと、さめざめと涙を流したくもなる。
しかし驚いたのは、筋肉痛が治り始めた今朝はすこぶる体の調子が良かったことだ。まさに錆だらけの機械に油を差した時のような。何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、今日はすごかった。今までで一番自分の体の改善を感じた瞬間だった。あれだけずっしりと重く感じていたふくらはぎが、今日は軽い、軽い。オフィスを歩くと、まさに一歩一歩が軽やかな感じで、「ああ、体を鍛えている人はこれを味わうために筋トレとかをやってるんだろうな」とようやく体を鍛える意味を理解できた。
そんなこんなで、今日も熟睡に向けた試みを続けている。フィットボクシング2には「軽め」というメニューがあって、こっちをやってみたらいい具合の疲労感(汗もちょっとかく程度)でこれは良さそうだ。「軽め」というメニューを選ぶ、自分への恥ずかしさみたいなものは少しあるが。
アーマードコアで昂った身体を、フィットボクシング2で解消する。そして鍛えた体でまたアーマードコアをやり、フィットボクシング2をやる。そうして日々の仕事を乗り越えていく。社畜は社畜でも、健康的な社畜でありたい。願わくば心身ともに。