劇場版 ソードアート・オンライン プログレッシブを観たので、『往け』を考察してみた
10/30(土)より公開中の『劇場版 ソードアート・オンライン プログレッシブ 星なき夜のアリア(以下:劇場版 SAOP)』を鑑賞しました。
Dolby Atmos(ドルビーアトモス)という、簡単に言ってしまえば立体音響設備で見たのですが、予想を遥かに超えた音の迫力に思わず身震いをするシーンもありました。当該のシーンは、ぜひとも映画館で確かめていただきたいです!
そして、主題歌である『往け』も先行配信で聴いたときと比べて、かなり印象が変わりました。
初めて聴いたときは、正直「迫力に欠けるなあ」と感じていたのですが...映画館で流れたとき、音響とストーリーが相まってかなりグッときましたね。
今日は、そんな『往け』の歌詞を考察していこうと思います。
といっても、すべて自己解釈ではなく...。
この楽曲を歌唱・作詞をされているLiSAさんが各所のインタビューで語っている部分は、そちらを参考にしています。
『往け』で描かれていること
私はこの楽曲を、劇場版 SAOPのストーリーや心境を、今作の主人公であるアスナが振り返った曲だと解釈しています。
アスナ視点で書かれた歌詞であるというのは、LiSAさんが楽曲インタビューでたくさんお話されておりますが、振り返っているという解釈については
や
といったように、後述する劇場版 SAOPの特定のシーンを指すであろう、代名詞が多用されているところから、そのように感じました。
しかしながら、この楽曲はただ物語をなぞるだけではありません。
母からの抑圧を反抗することなく受け入れてきた現実。ゲーム初心者にも関わらず、デスゲームの世界に閉じ込められた戸惑い。信頼していた友だち・ミトからの裏切り。といった、アスナを取り巻く様々な経験。
それらを経て辿り着いた"今を受け止めて、自分らしく生きたい"という劇場版 SAOPエンディング時点でのアスナの気持ちが、しなやかなメロディーに乗せて描かれています。
歌詞の解釈
上記を踏まえて、歌詞を順に追っていきます。
冒頭のAメロは、デスゲームの世界に閉じ込められてから、ミトが姿を消し、死に方を選ぶために一人で剣を振り続けたアスナの胸中を歌っています。
誰かが作り上げた私の自画像というのはまさに、全員がホンモノの顔で生きている『ソードアート・オンライン(以下:SAO)』の世界そのものです。
その、デスゲームの世界で微笑みはしないという歌詞は、SAOの世界で微笑むこと=死に関心のないNPCのように溶け込んでしまうこと。それを否定していたいアスナの意志の現れではないでしょうか。
しかし、クリームをつけた黒パンを食べたとき。お風呂に入れたときのアスナは、意志に反して豊かな表情を見せています。
絡まる、ちぐはぐな想いというのは、バーチャルを現実世界のように過ごしたくはないという意志と、理屈ではなく心が動いてしまうことへの葛藤だと推察します。
そんな気持ちを、髪をほどきながら「らしくない」と言ったのは、この世界を"受け止めたうえで、自分らしく生きる"と決意したタイミングのアスナではないかなと思います。
それにしても、複雑な感情を今作の象徴的なモチーフである"髪"と、それに関連した"絡まる"というワードで表現しているのが、1番Aメロの魅力ですね。ステキです!
私はここで言う形を変える"正しさ"を、意志だと捉えています。
アスナは劇中で、絶対に現実に戻りたい→どうせ全員死んでしまうのなら、死に方だけは選びたい→今を受け入れて、自分らしく生きたいという風に、何度も意志の変化がありました。
キリトに出会うまでは、自分の心を殺して生きようとしていたアスナ。
これからも意志は何度も変わるかもしれないけれど、胸のときめき=自分の心にだけはウソをつかないように生きていこうという、決意の歌詞が1番Bメロとなっています。
サビは、1番・2番・落ちサビのすべてで、自分らしく生きると決めたアスナが、自身を鼓舞するような言葉が並びます。
ここでいう運命は、明日死ぬかもしれないという恐怖心。
あの日の涙はデスゲーム初日に、ミトの前で流した涙のことだと思います。
誰も追いつけないや、加速という単語は"前に進む"というキーワードを、閃光のアスナらしく言い換えているのではないでしょうか。
ちなみに、万華鏡もアスナ自身を表したものだと、LiSAさんがインタビューで語っています。
LiSAさんの言う「どんどん見えるものが変わっていく万華鏡」には、景色のことだけでなく、先述した自分の意志も含まれていると考察します。
何もないあの夜は、ミトにパーティ解散を通知され、2人分のベッドで1人眠れずにうずくまった夜。
何かに怯えたあの頃は、死を目の当たりにして生きることを諦めた日々。
基本的にはポジティブな性格のアスナは、こんな現実に直面してもきっと前向きであろうとしたと思うんです。でも、それでも拭えない黒い気持ちに負けて夜を明かしたことが何度もあったのかなと想像します。
そんな過去の葛藤を、1番では「らしくない」と言いつつ、すべて私だと受け入れて「悪くない」と言っているのが2番Aメロの歌詞だと思います。
2番Bメロは、上述した2番Aメロのやるせない気持ちを、さらに強調するためのフレーズとして機能しています。
デスゲームに巻き込まれた戸惑い。ミトの裏切り。この2つのシーンに関する表現が1曲中に何度も登場することからも、アスナがかなり苦悩したと察することができると思います。
これらの出来ごとに付随したのは、きっと負の感情ばかりで結局は何も手に入らなかったという事実を撒き散らした代償に 何を手にして来れたかなと歌っています。
「ここだよ」と「愛して」はそれぞれ、アスナが想定している人物がいると考察します。
まず、「ここだよ」はミトへ。
ミトとパーティを組んでいたときのアスナは、ミトの強さを絶対なる安全基地だと信じ、守られる存在でした。
しかし、突然のパーティ解散からキリトと出会い、その先に生き方を見出したアスナは強くなった。
ミトと再会したボス戦でレイピアを受け取ったあの瞬間、アスナはミトに、もう守られなくても大丈夫なこと。ちゃんと"この世界を"生きる決意ができたことを「ここだよ」に込めて伝えたかったのではないでしょうか。
次に、「愛して」はアスナの母親へ。
アスナの母親は、アスナがどれだけ頑張っても褒めない厳しい人物として、劇場版・アニメ版と一貫して描かれています。
ですが、夢で見た母親はアスナの卒業旅行を、かなり早い段階で計画立ててしまう溺愛っぷり。
この夢からも、アスナは本心では(当たり前ですが)無条件に愛されたかったことがわかります。
しかし、このデスゲームを通して"自分らしく生きること"に決めたアスナ。いつも言いなりだった自分の中に湧き上がる気持ちが、母親に対する反抗なのではないかと、無意識に不安に思ったのではないでしょうか。
でももう、この生き方を止められないから「愛して」と強く願うしかないという心境が、この部分の歌詞には現れていると思います。
2番のサビも基本的には1番と同様、アスナ自身を奮い立たせる歌詞となっています。
2番のみの表現である、乱気流は万華鏡と同じような意味で使われていると解釈します。めまぐるしく変わる気持ちの先に辿り着いた私を知りたいというようなニュアンスだと思います。
同じく2番サビのみの歌詞である、確かに描いていた未来は自分の意志で生きることを指しています。
CメロはLiSAさんが、ご自身に向けて書いている比重の方が大きいとおっしゃっています。
が、 "大事"だって守りながら いつも「大丈夫」って笑いながらの部分にいたっては、家族やクラスメイトを"大事"だと想い、愛想笑いをするアスナの姿が自然と浮かんできます。
落ちサビは劇場版 SAOPの終盤、ボス戦後にアスナがミトの「ごめんね」を制止したシーンを歌っていますね。
ミトはもしかしたら、またアスナと上を目指したかったのかなと私は思っていますが、それは叶いませんでした。
その理由は、あのやるせない気持ちを通り越して、キリトという目標ができたからに他なりません。
続く「置いて行け!」という歌詞は、もちろんミトをという意味ではなく、ここで和解するまでに抱えたモヤモヤした気持ちを。ということだと思います。
だけど、そんなもの「置いて行け!」と自分自身に言うまでもなく、とっくに思い出になっていて、今に夢中=キリトの先に見つけた、自分の生き方を追うことに必死になっているよと示しています。
最後のサビの歌詞は、1番・2番とほぼ変わりませんが、転調してさらに疾走感を増していきます。
サビを駆け抜けた最後のメッセージとしてキミト アスへ 世界は万華鏡というフレーズがありますが、これは"キリト"、"ミト"、"アスナ"を表しているそうです。
ただ、単純にこの3人が横並びで、明日に向かっているというわけではないのだと思います。
1番のサビでは1人でアスに進んでいたアスナ。
いろいろな場面を経て、最後にアスへ向かう存在=キミはキリトです。
しかし、ミトは進む方向が異なっただけで、この先もアスナの大切な親友として存在するのでキミトの中に入り込ませたのかなと、そんな風に感じます。
最後になりましたが、『往け』というタイトルも、ただ進むだけではなく、行って戻ってくるという意味が込められていて素敵だなと思いました。
おしまいに
あくまでも、私が映画を観て感じたアスナへの気持ちですが、だれかの考察のお役に立てたら嬉しいです。
みなさんの考察も知りたいので、お気軽にコメントもお待ちしております。
それでは!
参考にしたインタビュー