【FGO】2部6章個人の所感

 2部6章完結から二週間程度、竹箒日記も更新が入ったことでそろそろ解禁しても大丈夫かと筆を執りました。ネタバレで構成されているため、未完走の方は閲覧をお勧めしません。

■私的結論

 まずはじめに結論を出しましょう。2部6章について、私は「愛憎の物語」だと感じました。ただ「愛」ではない、ただ「憎」ではない。その二つ両方を併せ持った物語だったのではないかと。
 FGOにおいて、「愛」とはビーストにも関連してくる重要な単語だとされます。その一方で「憎」についてはあまり語られてこなかった。その「愛憎」について、今回の章における各登場人物ごとに私の解釈をしていきます。

・主人公(ぐだ)の「愛憎」

 愛:マシュへの愛、オベロンへの思い
 憎:Aチーム時代にベリルが行ったマシュへの仕打ち、モース人間製造

 基本的に愛情深い彼(彼女)ですが、今回の話で色濃く「愛」が出ていた点は、相棒であるマシュに関する部分でした。ブリテン到着直後にはぐれたマシュを(名無しの森脱出後から)気にかけ、オークニーでは氷の棺に居るマシュに真っ先に駆け寄りました。これまで多くの場所を旅してきた「愛」だと言えるのではと思います。
 では、彼(彼女)の「憎」とはなんだったのか。憎悪と呼ぶべき感情か、というと賛否の分かれるところかもしれませんが、私はベリルのしたマシュへの仕打ちに対する怒り、モース人間を作り出したことへの嫌悪、このあたりが当てはまると思いました。
 ただし、彼(彼女)はブリテンにおける妖精たちの汚い部分をほとんど目にせずに帰りましたから、これらを目にしていた場合は妖精に対しても怒りを向けていた可能性が高いと思います。

・マシュの「愛憎」

 愛:現地妖精への思い(三人衆、ハベトロット、ボガード、トネリコ等)
 憎:-(ノクナレアの殺害、最終局面のオベロンの言葉)

 Aチーム所属時代の彼女であれば、特に何も感じずにただ淡々とブリテンを正すという行動をしていましたが、1章、これまでの2章の旅を経て慈しみや哀れみを覚えるようになります。そのなかでもとりわけ大きいのが現地で交流をした妖精たちへの信愛です。三人衆、ボガードとの別れに涙し、ハベトロットとともに「予言の子」として旅をし、過去でトネリコ(モルガン)の真実を知った。彼(彼女)らに与えられたものが原動力として大きかったのは言うまでもないでしょう。
 一方で「憎」ですが、マシュには特段強いものがありません。強いて言うのであれば、ノクナレアの殺害が起こったこと(「気にくわないから」ですべてを台無しにする存在)、最終局面でのオベロンの「この國が綺麗だなんてセンスが悪い」という旨のモルガンの努力を無下にする発言あたりではないかと。
 マシュは主人公同様に、妖精國の汚い部分はほとんど見ていません。そういう意味ではモルガンの「私の国は美しいでしょうか?」という問いに対して、もっとも真摯に頷くことができる存在かもしれません。

・アルトリアの愛憎

 愛:-(主人公、村正、ノクナレア、鍛冶師等)
 憎:世界そのもの、自分自身

 アルトリアの場合はマシュとは真逆で、「愛」に当てはまるものが限りなく少ないです。舞踏会に出た彼女はノクナレアと知り合い、初めて対等な友人を得ます。それは6章でも描かれたノクナレアとの絆の始まりであり、親愛です。そして名無しの森にて主人公、オークションで村正に出会い、運命は転がっていきます。最終的に、村正は自らの代わりに命を賭して聖剣を完成させ、主人公は「予言の子」など知らない時点からアルトリアとともにブリテンを歩んだ。6章ブリテンでのアルトリアは等身大の少女であるために、世界を愛して戦うことはできなかったのです。諦めで選んできた道の先にやっと見つけた、自分が愛するもの(≒輝く星)を守ることが彼女の「愛」なのではないだろうかと思います。
 アルトリアの過去は凄惨で、起きていても眠っていてもそこは地獄。普通であれば壊れてしまっているような状況でした。ティンタジェルの人々の暴力や暴言、裏切り、親しい人の死、嘘まみれの世の中、そしてそんな世界を望んでもいないのに救わなければならない自分の使命。何もかもが嫌なのに「そうあれ」と望まれるから「そうある」存在なのです。そんな在り方を誰よりも疎んでいたのは他ならぬアルトリア自身。

・モルガンの愛憎

 愛:ブリテン、バーヴァン・シー、ウッドワス、過去に親しかった人々(マヴ、ウーサー、トトロット、エクター)
 憎:上記以外の妖精と人間すべて、アーサー王、汎人類史

 モルガンの「愛」はプレイヤーにとっては非常にわかりやすいものです。逆に言うと、ブリテン以外の愛はモルガン以外の登場人物にはわからなかったのではないかとも思います。バーヴァン・シーはモルガンが自分を認めてくれていないと思っており、最後には和解したウッドワスもオーロラの言葉にモルガンを疑ってしまいます。過去に親しかった人々も妖精歴にはもうほとんど残っていないため断言できる人は少ないでしょう。しかし、自分の国以外どうでも良いと言い切った彼女にも、ブリテン以外に愛したものが確実にあったのです。
 トネリコ時代、救世主として奔走したにも関わらず、妖精たちの思い付きで幾度となく裏切られたモルガンは、ウーサーの毒殺によって決定的に妖精と人間を憎むようになります。それらは妖精歴から見て先代、あるいはさらに先代のバーヴァン・シーを弄んで殺す妖精や人間たちでもあるのです。同時に救世主として世界を導くのを止め、絶対的な王権を以て自らのブリテンを支配することを選んだため、それを害してくる侵略者である汎人類史は忌むべき対象です。さらには、6章でのモルガンはベリルが召喚した汎人類史のモルガンの記録を取り込んでいるため、自らが座るはずであった場所に君臨しているアーサー王も憎む対象となっているのです。

・オベロンの愛憎

 愛:ティターニア、アルトリア、主人公、ブランカ(、妖精國の物語)
 憎:マーリン、物語の読者

 オベロンの行動の第一は世界の破壊であるものの、ティターニアに会いたいという劇中で語った内容は真実であろうと推測されます。そしてそのティターニアについては、Twitterや他の方のnoteにも書かれている通り、アルトリア、主人公、ブランカそれぞれにエッセンスが分割されているとも。オベロンを理解し、許容し、愛するものは、オベロンにとって愛するに値する存在なのではないでしょうか。また、6章クリア及び第3再臨後のマイルーム会話において、モルガンについて「あんたの書いた絵本(=モルガン描いた妖精國)は悪くなかった」という発言をしています。これについても、嘘ではなく本当の言葉なのではないかと思っています。
 オベロンの「憎」については劇中でも語られた通り、世界を物語として消費する読者。そこに生きているものを無視し、作り出して読んだらおしまい、ということが許せない。シェイクスピアの作品においてのオベロン本人やティターニアがそうであり、妖精國においてのアルトリアがそうであり、FGOという作品においての主人公がそうであり、プレイヤーにおいてのFGOがそうである。そして、その「消費する読者」の代表として語られているのがマーリンであると。

 以上が私の考える、主要な人物の愛憎です。
 FGOにおいて、第1部から語られてきた「愛」、その一方で語られることのなかった「憎」。今回の6章は様々なテーマが設定されていると思いますが、その中で私は「愛憎」を感じたのです。

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