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やさしい人の話



『優しさ』ってなんなんでしょう。


というより、『優しい人』ってどういう人のことを言うのでしょう。






我らの推しである兼近大樹は『優しい』とよく言われている。テレビにも同業者にもファンにも、それはもう一種の信仰かと言わんばかりの勢いで。そう言わなければ近親者を一人ずつ始末していくぞと脅されているのだろうか?と思うほど彼に対しての評価はある程度統率されている。確かに良い奴ではあるのだが。

そしてその動きが正しいとするならば、世間一般の【優しい人】の定義は【兼近大樹のような人】ということになってしまうのだろうか。


本当にそうなのだろうか。


兼近の価値観や行動原理を優しさの定義、あるいは基準にしてしまうのはいささか暴論が過ぎるのではないだろうかと、私は思う。

こんなことを言うとまた「貴様はアンチか」と言われてしまうかもしれないが、私は兼近を否定しているわけではない。ただ兼近を全肯定しているわけでもない。何言ってんだ?と思うことも多々ある。しかしそれでも私は兼近大樹のことを気持ち悪いくらい推している。そう言うところも含めて総合的にめちゃくちゃ好きだからだ。

ここだけの話、私は兼近を特別『優しい人』だと思ったことはない。
『自分ルールに忠実でめんどくさいけどめっちゃ良い奴だな』と思っている。

どちらかといえば『私にとっては』りんたろーさんの方が優しい男だ。
ツイッターたくさんいいねしてくれるし。noteでお金払ったらたまに返信くれるし。なによりりんたろーさんは、間接的に特定の価値観を否定するようなことを言わないし。



要するに一般的に『優しい人』というのは『自分にとって都合がいい人』を指している場合が多い、という話だ。まぁこれもあくまで私はそう思う、というだけではあるのだが。



そしてそれと同時に私は不特定多数から『あの人は優しい人だよね』と言われている人を見ると、なんともいえない同情的な気持ちで見てしまう。

人間は一度得た『良い評価』を手放しがたい生き物だからだ。

初めは望んでいなかったとしても、他人から受ける『人気』や『評価』は落とそうと思って落とせるものではない。一度手にしてしまえば、なんとなくそれを維持したくなってしまうものだ。それが仕事なら尚更だ。期待に応えたくなってしまうものだと思う。

それを『優しさ』だと捉える人もいることは把握してはいるが、正直言ってそれは別に優しさではない。自分のためだ。でもそれを受ける側にとってはそんなことは関係ない。受けた側にとって都合が良ければそれは『優しさ』なのだ。




『俺からしたら自分のために
やっていることが
人のためになっちゃっている
って言うイメージ』



兼近は某2万字インタビューでこんなことを言っていた。これは見る人によっては「またまたご謙遜を…」と思われても仕方がないような発言だとは思うが、多分彼に謙遜の意図はないのではないだろうかと私は思う。本当に『自分のためにやっている』つもりなのだ。自分がそうするのが気持ちいいからやっているだけなのだ。ただそれだけのことなのだ。

『でもそう思うことが優しいじゃん』

という声については、いやそうなんだけどそういうことじゃねえんだよなぁ〜…!と思ってしまう。人に優しくするのが自分にとって気持ちがいいだけで、人から『あなたは優しい人ですね』と言われたくてやっているわけでは無いはずだ。もちろんそういう人もいるけれど。


兼近のことを『優しい』と思える人は、たまたま『兼近を優しいと感じる価値観と感覚』を持っていただけで、兼近がすべての人に優しくて正しいなら、兼近にアンチは存在しないはずだ。少なからず彼にもアンチが存在するということは、兼近を『優しい』とは思えない価値観を持っている人も一定数存在するということなのだ。

特に、兼近の俺ルールや、優しさについての価値観は、本人にそのつもりがなくても、間接的に、必ずその対極にいる人間を否定することになってしまうからだ。


『そんなのその人が性格悪いだけじゃん』


そのアンチにとっては兼近が性格が悪いだけかもしれない可能性については?


と、私は思うんですね。
正義も優しさも受け取る人間の数だけある。


正しい価値観、正義感なんてこの世には存在しない。

だから一定の秩序を保つために法律とか存在するんじゃないですかね。



私は兼近を特別優しいとは思わないけれど、正直で真っ直ぐないい奴だとは思っています。愛されたくて、みんなに優しくしたくて、生きるの大変そうな承認欲求の塊みたいな兼近が愛おしくて仕方がないのです。

ハッピーチャラに生きてほしいものです。








ちなみに戦争する気はありませんので、クソリプは『おっぱい』のみでお願いします。

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