日本共産党はもっと革命を!~綱領から政党を覗いてみた
はじめに
小論の趣旨は、日本共産党の革命路線への"復帰"を期すことです。共産主義が嫌いな人や関心がない人、革命なんか起こりっこないと考える人、資本主義や天皇制を維持したいと考える人は読んでも得るところはありません。また小論は筆者の政治的立場を示すものでもありません。
SNSで話題の「革命政党」宣言
日本共産党は2023年6月26日付けの機関紙「しんぶん赤旗」の一面トップで、「革命政党として統一と団結固める」というタイトルの記事を掲載しました。この「革命政党」という言葉は、ツイッターでトレンド入りするなど、SNSを中心に大きな話題になりました。
記事のリード(前文)は以下の通りです。
実際の志位委員長の発言は次のようなものでした。
1922年の結党から101年を迎える年に、なぜ改めて「革命政党」宣言なのでしょうか。また、「統一と団結」を再確認する必要があるのでしょうか。考えていきたいと思います。
「保守」と思われている共産党
筆者は過去のコラムで、日本共産党の綱領をワードクラウド化しました。そこにも明確に示されたように、日本共産党は社会主義革命を展望する革命政党です。
こんなことを書くと、当り前じゃないかとおしかりを受けそうですが、実はそうでもないのです。若い世代は、共産党が革命を目指しているなんて知らないのです。SNSで話題になったのも、「革命」という言葉の目新しさのゆえです。
宇野重規・東京大学教授が朝日新聞に寄稿していますが、
皮肉なことに、共産党が「与党の補完勢力」だと目の敵にしている維新がリベラルで、共産党は保守政党だと思われているのです。読売新聞・早稲田大学共同世論調査からすでに6年が経っていることを考えれば、今や30代半ばまでそう思っていても何の不思議もありません。だからこそ、SNS世代には、「革命」の二文字が過激に、あるいは新鮮に受け止められたのでした。
三分裂する「革命」のイメージ
過激に受け止められた理由は明白です。多くの人が、革命=暴力と受け取ったのです。
ロシアや中国やキューバやベトナムやカンボジアで、共産党は暴力革命で政権を打倒しました。日本共産党も今は否定していますが、過去の一時期には、暴力革命路線を志向していました。
新鮮に受け止められた理由もはっきりしています。日本共産党が「革命」を語るのが珍しかったからです。選挙公約だろうが街頭演説だろうがテレビ討論会だろうが、共産党は一般有権者に向けては、もう長い間、革命への展望を語ってこなかったのです。SNS世代が驚いたのも無理がありません。
さらに事態を複雑にしているのは、日本共産党の展望する「革命」に2種類あることです。第一が資本主義の枠内での「民主主義革命」であり、その先にあるのが「社会主義革命」(日本共産党用語では「社会主義的変革」ですが、同じことです)です。綱領には次のようにあります。
したがって、共産党機関紙が一面のタイトルで「革命政党」というとき、SNSを通じてそれを見る人々の脳裏には次の3つのタイプの「革命」が想起されます。
多くの人が思い浮かべるのは「暴力革命」です。武装ほう起した人民が首相官邸や国会、皇居を占拠するイメージです。次に「社会主義革命」で、ここでは、資本主義体制の打破と私有財産制度の否定がイメージされます。「暴力革命」は「社会主義革命」の一手段ですが、別種の強烈なイメージを持っています。
そして、共産党をよく知る人の念頭にのみ「民主主義革命」が思い浮かぶのです。
党内で認識が統一されていないのか
この新聞紙面をきっかけにSNS上で独り歩きする「暴力革命」のイメージには、党幹部も頭を悩ませたようです。宮本徹衆院議員は、
と呟いています。暴力ではなく、議会で多数派をとって政権交代することが「革命」なのだと解説しているわけです。
これに対し、一般の人からは、こんな反論が出ています。
これらのツイートに象徴されるのは、共産党の内輪の言葉(機関紙の用語)が、世間(SNS)では通用しないという事実です。
そればかりか、ある共産党の元県議さんは、第8回中央委員会総会(8中総)の直後にこんなことをつぶやいています。
「まだ覚悟ができていない自分を感じる」というときの革命を、議会で多数派を目指す活動と受け止める一般有権者は少ないのではないでしょうか。
「しんぶん赤旗」を記事検索すると、「革命政党」という単語は、幹部の発言の中に時折出てきます。しかし、新聞の一面のタイトルにその単語が大きく踊り、かつ、SNSを通じて、広く世間の目に触れたことで、所属の元議員でさえも動揺したのです。新聞にうたった「革命」が何を指示しているのか、党内でさえ、認識が統一されていないと思われても仕方がないと思います。
統一選での歴史的惨敗
さて、冒頭の問いに戻りたいと思います。なぜ日本共産党は、結党から100年以上も経った今になって、「革命政党として統一と団結を固める」と打ち出さざるを得なかったのでしょうか。
それは4月に行われた統一地方選の惨敗が大きく影響しています。
日本共産党は草の根の党です。8中総で改定された「『130%の党』をつくるための全党の支部・グループへの手紙」でも、
と胸を張っています。それだけに、今回の地方での惨敗に、党組織が足元から崩壊していくような危機感を覚えたであろうことは間違いありません。
「元気がない」「敗北主義」
ここで、冒頭に紹介した「しんぶん赤旗」の一面トップ記事に戻りたいと思います。記事は、志位委員長が党員の言葉を時に借りながら、統一選の敗因らしきものを以下のように伝えています。
①党内に「もう一つ元気が出ないという声がある」「敗北主義的な傾向がある」
②国民のなかに閉塞感が強まる中で、それにつけこむ形で「改革」を叫ぶ維新の会などへの幻想が広がる状況もある
③民主集中制、党指導部のあり方に対する批判・非難を反共攻撃ととらえず、『やり過ごそう』となれば、党はどんどん押し込まれる
ここで注目したいのが、内在的な理由の「もう一つ元気が出ないという声がある」「敗北主義的な傾向がある」という記述です。なぜ日本共産党は元気が出ないのか、なぜ敗北主義的傾向があるのでしょうか。
高齢化と革命への諦観
その答えも、「『130%の党』をつくるための全党の支部・グループへの手紙」にあります。
2020年1月18日に採択された「日本共産党第28回大会 第二決議」にはもっと赤裸々に党の苦境が記されています。
そうです。日本共産党が抱えている問題は党員の高齢化です。結党から100年たって中心世代が70歳台ということは、半世紀近く、新陳代謝が進んでいないのです。これこそが、草の根の組織の足腰を弱めて日常の活動に困難を生ぜしめ、「統一や団結」を妨げているのです。
若いころから革命を夢見て党活動に粉骨砕身してきた70代の活動家からすれば、残り少ない人生を思って敗北主義になるのもやむを得ないと思います。
しかし、高齢化は日本全体の現象です。とすれば共産党以外も同じ苦境なのでしょうか。
ここで、先述した宇野東大教授のコラムを改めて引用します。
だとすれば、次に問うべきは、共産党はどこで、何を間違えて支持を劇的に減らしたのかでしょう。
革命の隠蔽が招いた衰退
議会活動を通じた「革命」の誕生
ここで場面は一気に1961(昭和36)年にさかのぼります。
この年の7月に開いた第8回党大会で、日本共産党は綱領を抜本的に変えました。党のwebサイトに以下の記述がある通り、この綱領が現在に至る綱領の原型となっています。
そして、この1961年綱領に盛り込まれたのが、「民主主義革命」です。まず議会の多数派を握り、次のステップとして社会主義革命を展望するこの考え方は党内に古くからありましたが、綱領に明記されるのは初めてでした。これにより、日本共産党は議会で多数派を形成するための活動を「革命」のプロセスと公式に位置付けることができるようになったのです。
一般有権者には理解し難い「革命」は、実に60年以上も前に定式化されたのでした。
ちなみに、なぜこれが「革命」と呼べるかといえば、
からなのだそうです。
さらにこの後、日本共産党は一般有権者になじみのあるマルクス主義の用語を、党の文書で使う際に次々に改変していきます。例えば、「プロレタリア独裁」という用語は「プロレタリア執権」に、「暴力革命」は「力による革命」に変更しました。「マルクス・レーニン主義」は「科学的社会主義」と呼ぶことにしました。
「貴党のイメージは甚だしく暗い」
なぜ日本共産党は、せっかく一般有権者に浸透していたマルクス主義用語を次々と改変したのでしょうか。
いまはなき民社党が、日本共産党に宛てた1973年の公式文書があります。民社党は日本社会党の右派議員が離党して結成した民主社会主義政党でした。以下はその抜粋です。
51年綱領がどのようなものであったか、それがなぜスターリン綱領と呼ばれることになったかは、後述します。ここでは、当時の日本共産党のイメージが、暴力革命路線で悪化していたこと、そして、そのイメージを何とか好転させようと、「微笑戦術」をとっていたことが重要です。
1986年末には、約50万人の全党員に向けて、『党風確立のための全党員必携文書』も配られました。共産党活動家の暗い風采や社会性のなさを改善するための、これも「微笑戦術」でした。
1986年12月14日に読売新聞が詳細を報じています。
「マルクス」も「プロレタリアート」もない綱領
こうした一連の改革の結果、日本共産党は、当面は「民主主義革命」に専心することになり、最終目的地である「社会主義革命」(日本共産党用語では「社会主義的変革」ですが、同じことです)は彼方に霞むことになりました。
一般有権者にもなじみのあったマルクス主義特有の用語は使われなくなり、暗くて危険なイメージが付きまとう活動家は、たぶんですが、民主的常識にかなった立派な社会人に作り替えられたのです。
ちなみに、2020年1月に改訂された現在の綱領には、もう「プロレタリアート」という単語も「マルクス」さえも出てきません。
「51年綱領」のトラウマ
それでは、いまはなき民主党が1973年に指摘した「51年綱領」とはどんなものだったのでしょうか。
これは、日本共産党にとっての”黒歴史”といっていいでしょう。
1951年綱領は1962年10月に日本共産党中央委員会出版部が発行した「日本共産党綱領集」に収録されていて、現在はオンラインで閲覧が可能です。(会員登録が必要です)
ただし、現在の日本共産党はこれを綱領だとは認めていません。「旧ソ連や中国の指導部による不当な介入・干渉により生まれた党執行部内の分派が勝手に作った文書」としています。それほどに否定したい歴史なのです。
かつて公式の綱領集に収録したものを綱領でないという今の日本共産党は、歴史の修正をためらわない組織なのかもしれませんが、抗議を受けるのもめんどくさいので、小論では便宜上「51年綱領」と呼ぶことにします。
先を急ぐ前に、多少は時代背景の説明が必要でしょう。
1922年の創設当初から非合法だった日本共産党は、1945年、第二次世界大戦が終わるとともに合法化されます。獄中から反戦を訴え、晴れて自由の身となった闘士たちは、国民のヒーローとなり、1949年の衆院選では、35議席を獲得するなど、政界に大きな足場を作りました。
しかし、ここで国際的な茶々が入ります。日本共産党がいうように、旧ソ連や中国の指導部による介入・干渉があったのです。
今でこそ、旧ソ連や中国共産党に批判的な日本共産党ですが、その当時は全然格下でした。そもそも、日本共産党はレーニンが作った「コミンテルン」(共産主義インターナショナル)の日本支部として誕生し、最初の綱領の草稿案はコミンテルンに作成してもらっています。
日本に限らず、世界の共産党にとって、一足先に革命に成功したソ連は当時は共産主義の領袖で、指導的立場にありました。
そのソ連の大親分スターリンが1950年、議会を通じた革命をめざしていた日本共産党を批判し、武装路線を迫ります。舎弟分の中国共産党も日本共産党を批判します。その結果できたのが便宜上「51年綱領」、別名、スターリン綱領なのでした。
便宜上「51年綱領」のエッセンスはたった一文
でしたが、そのインパクトは重大でした。
日本共産党は軍事組織「中核自衛隊」を組織して、各地で警察官を襲撃したり、騒擾事件を起こしたりするようになるのです。
衆議院の議席35からゼロに
もちろん、こうした暴力を一般有権者が支持するわけがありません。1952年10月の衆院選では、日本共産党候補は全員落選しました。35から、一気にゼロになったのです。
議員ゼロでは、議会を通じた平和な革命はできません。といって、暴力革命路線を突っ走るほどの力もありませんでした。1952年には、事実上日本共産党をターゲットとした「破壊活動防止法」(破防法)も成立し、組織的暴力行為への締め付けは厳しくなりました。
なお、当時、日本共産党の実質的な”別動隊”だった日本学術会議が破防法反対の声明を出したのは、過去のコラムに書いた通りです。
便宜上「51年綱領」は1958年の党大会でようやく破棄されます。しかし、次の綱領をめぐって党内抗争が激化、有力幹部が相次いで離党します。結局、1961年綱領ができるまでに、10年かかったのです。
こうして、武力革命路線とその破綻は、日本共産党の巨大なトラウマになったのです。
「社会主義革命」への回帰を
そろそろ、結論です。
今の党勢の衰退は、暴力革命路線のスティグマを癒そうとした結果、あたかも革命政党ですらないかのごとき振る舞いを続けてきたことが、大きな遠因だと思います。
60年間その振る舞いを続けても、「民主主義革命」は一般有権者には浸透せず、その先に「社会主義革命」(日本共産党用語では「社会主義的変革」ですが、同じことです)があることさえ、忘れ去られつつあるのです。これでは過去の方針を墨守するだけの保守政党と誤解されるのも道理ではないでしょうか。
大きな目標こそ求められている
実は、「愛される共産党」は古くて新しいテーマです。1946年2月の第5回党大会では、当時の書記長の徳田球一が「平和的民主主義的方法によってブルジョア民主主義革命を遂行する」のは至当であるとしながらも、「闘争力が否定され、単に議会的方法によって議員をかき集めて、おしゃべりをする」ばかりでは革命は達成されないと主張しました。
徳田は、「『なんでもお客さまのお気に召すように』振る舞うのは、大衆に媚び追随する傾向に陥る。これが増長すると党の戦闘性が失われ隊伍が腐敗する」と懸念したといいます。
日本共産党の独自性は、社会主義革命(日本共産党用語では「社会主義的変革」ですが、同じことです)をおいてほかにありません。改憲反対(日本共産党が展望しているのは現行憲法とはまったく異なる政治体制ですから、そもそもあまり改憲反対というのは得策ではないと思います)だ、入管法改正反対だ、LGBT法案反対だと打ち出すのは悪くないですが、それでは他の野党との差別化はできません。
あえて言えば、そんな「小さな」目標に汲々とするところに日本共産党の価値はないし、党勢回復の展望もありません。
「しんぶん赤旗」が「革命政党」と打ち出したのは、正しい方向への一歩といえます。しかし、それを「民主主義革命」のことだと言いつのっても、一般有権者は一種の欺瞞としか受け止めないでしょう。そうではなく、もう一度正面から、社会主義革命への展望を語るべきではないでしょうか。
2020年1月18日に日本共産党第28回大会で採択された第一決議の一部、「資本主義を乗りこえる展望を持つ党の役割を正面から訴えよう」を引用します。
ここまで決議しておきながら、その後の国政選挙や地方選で、社会主義革命の必要性を訴えて選挙戦を戦った候補が何人いたのでしょうか。もちろん把握できませんが、恐らく一人もいないのではないでしょうか。
衆院選の初日には、必ず各党の代表の第一声が新聞に掲載されますが、筆者が調べ得る限りで、21世紀に入って社会主義革命を第一声で訴えたケースは見当たりませんでした。それでいいのでしょうか。
もちろん、現綱領に明記されているように
ので、社会主義革命はいずれきっと必ず実現するのでしょう。ただ、その時に、日本共産党がすでに消滅しているようでは、いま頑張っている党員は浮かばれません。
残された時間はあまりないと思います。正面から取り組むラストチャンスです。
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