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思考のかたち

近代建築を見て回るとき、「建築を作る」ということは社会に問うことだと考えるときがあります。身近な例として住宅を例にとると、デザイン、機能性という観点だけでなく、この敷地でどう暮らすのか、と言うことも含めて提案する・表現する。

だから建築家は表現者であれと思います。たとえ機械的に造られる建築や表象的なデザインであったとしても、そういった意味があれば良いと思います。

ただ実際には、現代の建築は近代建築という分野と比較すると、このあたりが欠けている気がします(それぞれの好みもあるかもしれませんが。。。)

近代建築時代の建築家は、まさに表現者たる建築家と言ってもいいような気がします。それぞれが自身の「思考のかたち」をもっており、その「思考のかたち」が具現化されたものが建築という作品となって世に放たれてきました。同時に作品の存在意義も見事に表現されているものが数多くあります。

建築(作品)の端々に現れる豊かなディテールは、建築家の思考と智慧の集積なんだろうと思いながら、いつも作品を観て、触れています。

私は最も優れた「思考のかたち」の持ち主は子供だと思います。子供の作品は、先入観がなく、自由な発想で溢れている。智慧の集積などなくとも、ディテールにこだわらなくとも、素晴らしい作品はいくらでも作り上げる。見た目は建築には遠く及ばなくとも、大人の想像を超える作品を生み出すこともしばしば。

子供に「これな~に」と問いかけると、子供なりにテーマがあり、しっかり表現されている。「思考のかたち」が出来上がっているのだ。まさに子供の無限の可能性が感じ取れる瞬間です。

ただ、年を重ね様々な経験することで優れた「思考のかたち」は影を潜めていく。これが、現実なのかもしれません。

この優れた「思考のかたち」の持ち主である子供の無限の可能性を信じ、伸ばしていく場を、環境を作り出すことが、我々大人に求められている役割なんだろうと考えます。

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