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偶然性の問題

哲学という分野は正直苦手です。しかし、この本はある『偶然の出会い』をきっかけに手にした次第です。読むのに時間はかかりましたが、読み進めていくうちに、九鬼周造の世界へ嵌まり込みそうな、そんな気持ちにさせる一冊です。

『偶然性の問題』は、あらゆる事象はゆくりないめぐり逢いであり、その邂逅の源泉に原始偶然が厳存する。偶然性を定言的偶然、仮説的偶然、離接的偶然の三つに大別し、偶然性の本質を解明した九鬼周造の主著。

哲学者は必ず問題意識を強く持っています。本書において述べられている九鬼周造の問題意識は、この世でおこる全ての事象は偶然か必然かを論じているような気がします。

彼は師であるドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーの問題意識を引き継ぎながら、自分の存在は果たして偶然なのか必然なのかという問題を問うています。

そして、古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの偶然論と同じ古代ギリシャの哲学者パルメニデスの必然論の対立以来くりかえし問い続けられてきた「偶然と必然」の問題への九鬼独自の解答でもあるのだろうと。

九鬼周造は、偶然性の基本構造に芸術的な美の起源を見出していたような気がします。

「ポール・ヴァレリーは一つの語と他の語との間に存する「双子の微笑(sourires jumeaux)」ということを云っていますが、語と語との間の音韻上の一致を、双子相互間の偶然的関係に比較しています。」(『偶然性の問題』より)

これは例えば、小野小町の「花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」という歌の「ふる(降る/経る)」「ながめ(長雨/眺め)」のような掛詞を想定してみると分かりやすいでしょう。

偶然の音の重なりというによってまったく異なる意味の概念性が出会い、結びつけられていくことで出来上がる妙にも通じていきます。

「偶然ほど尖端的で果て無い壊れやすいものはありません。そこはまた偶然の美しさがあります。偶然性を音と音との目くばせ、言葉と言葉の行きずりとして詩の形式の中に取り入れることは、生の鼓動を詩に象徴することを意味しています。」(『偶然性の問題』より)

音韻と意味とのあいだの「行きずり」の出会い、その「あわい(間/淡い)」において、はかなさだけでなく唯一性を見ようとしたのが九鬼の偶然論の本質であったように思います。

ふと生じる邂逅や、一瞬の内に重なり、そしてまた離れていくような偶然的関係における“ふれあい”をこれからも大切にして生きていきたいと思います。

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