自負の善人は悪に勘定される
自分自身の未成熟な善を成長させるのは、己自身しかいない。
善を道理で捉え、躾け、手塩に掛けて育てなくば、中途半端な善となり、自負の善人で終わることになる。
残念ながら白か黒かの実相では、自負の善人は悪に勘定される。
人間は皆、悪を持たされている。
その中で、完善を目指す宿命にあるのが人間。
これ、かなりの難儀であることは自明の理。
しかし、如何に悪を生かさぬよう完全にコントロールするしかない。
内なる悪を扱いかねる、持て余すようでは、善が善にはならない。
「あ、あのう、善とか悪とか、言葉は分かるのですが、日常では、善と悪の判別がつかないことがたくさん起こります。そんな時は、どうすれば良いのでしょうか」
「そんなこと、法律に触れるか触れないかに決まってますよ。それなりに法律の勉強は、しておいた方が良いと思いますよ」
「でも、法律で罪にならなくても、悪なことってたくさんありそうな気がする。例えば、人の悪を見て見ぬふりをするとか、影で誹謗中傷するとか…」
「そういうのはあると思うけど、社会ではそれはほとんど罪に問われないでしょ?そういうのいちいち気にしていたら生活なんて出来ないって!」
「じゃあ、本当は罪になるんだけど、誰も見てないからバレなきゃいいみたいなのは、私は悪になると思うんですけど…」
「それはそうかもしれないけど、社会には法律があるんだから、それに罪を犯して罰せられるか否かという判断だと思うけど…」
「う~ん、物事を善か悪かで判断するのって、本当に難しい…。誰かちゃんと教えて欲しい!」…
人間は皆、未熟だから人間やっている。
その未熟さを克服するために、善悪を持たされている。
そのことが分れば、努力のしようもあるというもの。
だが、大概の人間は、自分は善人だと思っている。
自分でも気付かぬような微悪の類も、積もり積もれば、大罪となるのが道理。
自分自身のいい加減さ、不勉強さに心底気付ければ、手の打ちようはある。
お主、自負の善人やめるために、何を心掛けるか。
そのことを肝に銘じ、善悪の分別を付けるため、一つひとつの事象を丁寧に見つめ、分からなければ、自然に問い、分かる人に教えを乞うことを心掛け、今世のうちに、完善な大人になれるよう精進して生きます。
有難う御座います。