修行の僅かな合間の一瞬の光、感動の涙の積み重ねが、人間を強くする。
人間、修行の身。
未熟で産まれ、人間の間が取れ、人になる。
これ、人として生きること。
人としての務め。
人としての責任。
人間としてこの世に生まれ出たことの意味、訳、自覚。
お主、何のために存在している?
なぜ生きている?
「え?あ、まあ、人生修行っていうやつですかね。生きることは楽ではないですね。寧ろ苦しい。だけど、仕方ないですね。人間は修行をするために生きているのだから」
「いやあ、勘弁!修行、修行って、そんなに真面目にストイックに生きてたら、疲れ果てて死んじゃうよ。もっと楽しもうよ!眉間に皺寄せて生きるより、たくさん笑って生きた方が人間らしくていいんじゃん?」
「私、修行って、お坊さんや禅僧のやることだと思ってた。え?私も修行が必要なの?どんな修行?それっていつまで続ければいいの?教えてほしい!」
「みんな阿保やな。そんな真面目くさって生きるから騙されるのよ。この世は、いかにうまくやってラクに生きるか。損か得かしかないでしょ?うまく生きたもん勝ち!不労所得の方法、教えまっせ!」
「私は、社会的責任を果たすことが、人間としての務めだと思っています。それが修行といえばそうかもしれません。だけど、私は、それを苦しいとか大変だとか思ったことはありません。物心ついた時から、当たり前だと思って生きていますから」…。
今にして分かること、これ修行の意味。
人間、絶えず悩み、絶えず苦しみ、気の休まる暇がない。
これが修行。
何も、滝に打たれたり、座禅を組んで念仏を唱えたり、身体を扱いたり、やりたくないことをただ只管にすることが修行ではない。
それは、何も特別なことでも儀式でもなく、日々の日常であり、普通のこと。
人間生きていれば、悩み絶えず、苦労が無くならない。
これが実相。
これがいつまで続くのか、修行の内容な何なのかは一切明かされない。
云えば尻込みし、逃げ、拒絶する。
分からないからこれまでやってこれた。
人間は、人として仕上がるまで、楽になることはない。
それを分かって自ら生まれ出てきていることを推して知るべし。
修行の僅かな合間の一瞬の光、感動の涙の積み重ねが、人間を強くする。
そのことを肝に銘じ、生涯、修行の身であることを自覚し、死ぬまで生き続けます。
有難う御座います。