私の松山の味
昨年のゴールデンウイークに、急に友人と車で旅行に行こうという話になった。その友人が「道後温泉に行きたい。」と希望したので、私は久しぶりに4年半あまり学生生活を過ごした四国・松山に行くことになった。
広島に住んでいる私にとって、ほろ苦い思い出しか残っていない松山は、近くて遠い場所となっていた。自分一人ではとても行く気がしなかったが、今回は友人の希望だから仕方ない。
こうして、自分の記憶の奥底に封印していた学生時代の記憶を呼び起こしてみた。すると、せっかく松山に行くなら、絶対に行きたいお店が一つ脳裏に浮かんだ。
それまでまともに六法全書を開いたこともない法学科の不良学生だった私が司法試験の受験を決意したのは、周りの友人が就職活動を始める3回生の秋だった。
それから学内の図書館が開いている午前9時から午後9時まで仙人のように机に噛り付いた猛勉強が始まった。そんな当時の私の唯一の楽しみだったのが、1月に一度、街に出て本を買いに行った帰りに寄った、あるカレー専門店でカレーを食べることだったのだ。
松山の街は、私が学生時代を過ごした約30年前とは見違えるようなお洒落な街に変貌していた。だいぶ迷ったが、そのカレー専門店は同じ場所にあった。間口が狭い入口のドアを押すと、あの頃と同じ独特なスパイスの匂いが店内に広がっていた。
細長い店内は、側面がガラス張りとなっているので、それほど狭く感じない。あの頃と同じ少し色褪せた赤いソファー椅子が並んでいた。私のお気に入りの場所は、一番奥でちょうど厨房の裏にある奥まった場所だった。
恐る恐る行ってみると、幸運にもその席は空いていた。あの頃の定番だったカニクリームコロッケカレーがまだあったので、友人とそれを注文した。
私はこの場所で、買ってきた司法試験の合格体験記を読みながら、カニクリームコロッケカレーを食べるのが、好きだった。このカレーを味わいながら、将来弁護士として華々しく活躍している自分の姿を想像していた。
このカレー専門店のカレーは、一度口にすると忘れられない濃厚な甘口のルーが特徴。カニクリームコロッケも手作りで、スプーンで押すと簡単に割れて、美味なクリームがゆっくりと流れ出し、カレーの海と合流する。
味もあの頃とまったく同じだった。しかし、約30年ぶりにこの同じ場所で同じカレーを食べている私は、当時想像していた自分の姿とはまったく違う。それを後悔しているわけではない。
むしろ、誇らしく思っているのだ。けっして思うようには行かない人生だが、それでもそれなりにやってこれたという自負が、今の私にはある。こうして友人と気楽に旅行に行けるくらいの余裕もある。それもこれも、あのときの自分がいたからだ。
そんなことを考えながら、私は思い出の松山の味をじっくりと味わった。
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