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恥ずかしい思い出


それは突然の出来事だった。
小学2年3組の仲間が昼休みに校庭で、プラスティックのボールとバットを使い、いつもの三角ベース野球をしていたときのこと。


その頃、校舎の一部建替えが行われていて、校庭の隅にビルを建てる際に使う細長い鉄棒が高さ1メートルほど束になって山積みしてあった。学校では、おそらく近寄らないように指導していただろうけど、この頃の子供にとってそれは逆に興味をそそられる対象となるだけだった。


案の定、私たちはこれを「ベンチ」と呼び、自分たちが攻撃の間にはそこに陣取り、自分の打席の順番まで戦況を見守っていた。そのときの私も、自分が監督になった気分で、一番前にドカッと腰を下ろして腕を組んでいた。


悲劇は、味方がホームランを打ったときに起こった。
その時、「ベンチ」の上で立って見ていたクラスメートが数人いた。ホームランを見て喜んだ彼らが飛び跳ねた瞬間に、突然「ベンチ」が崩れたのだ。


辺りは一瞬静まりかえった。
結局、その鉄棒の束の下敷きになったのは、私とNだけだった。
私は片足の足裏を鉄棒に挟まれ、うつ伏せのまま動けなかった。一方、Nは私の横で同じようにうつ伏せに倒れていたが、足の方を見ると膝の裏の方まで鉄棒に挟まれていた。


子供の力ではビクともしない重たい鉄棒の束に挟まったままの二人を、他のみんなは呆然と立ったまま見つめていた。
隣では、うつ伏せのNが必死に痛みをこらえているのが、わかった。私はこの突然の苦境を一刻も早く抜け出したかった。


そして、私は頭の中が混乱したまま、なんと
「死ぬ~」
と叫んでしまったのだ。一度でも、この言葉を口走ってしまったら、なんだか続けて叫び続けないといけないような不思議な気分になった。そして、私だけが死ぬ、死ぬと何度も叫んでいるうちに、男の先生が数人走ってきて、鉄棒の束を持ち上げ私たち2人を助けてくれた。


すぐに病院に連れて行かれたが、幸い2人とも骨には異常はなかった。


しかし、私の苦痛はそれから始まった。
私の担任の男の先生が、この事件を父母に定期的に渡している通信に書いたのだ。それは、『先生、先生、○○くん(私の名前)がケガをしよんしゃあ~(博多弁?)』と担任の先生を呼びに行ったクラスメートの言葉を大見出しに始まっていた。そして、『ケガをしよる』のではなくて、『ケガをした』のだろうと先生の最初の感想から、死ぬ死ぬと騒いでいた私と黙って我慢していたNとの克明な比較描写で綴られていた。

             ☆


この事件がクラスで話題になる度に、ワンランク格の上がったNを尻目に、私は貝になるしかなかった。貝はみんなの輪から少しづつ後退しながら考えた。


それじゃあ、あのときなんて言えばいいのだろう?
「助けてくれ」かな?


でも、その場にみんないたのだから、助けなければならないことはわかっていたじゃないか。


それじゃあ、「痛いよ~」はどうだ?
「痛いよ~」なら普通じゃないか。
なんであのとき「痛いよ~」って言わなかったんだ。ここで貝は少し考えて、驚くべき事実を発見した。


実はあのとき、全く痛くなかったのだ!

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