青鬼は旅人
手伝い
こうしてはじまる役割の中では、『泣いた赤おに』の主人公たちのような関係が生まれることがよくあります。何処かの誰かに声をかけてもらって訪ねてみると、本人たちが気づいていなかったり手をつけられずに困っていることが、そこには隠れているからです。泣いた赤鬼と村人の間にある関係。そこに現れる青鬼の存在。
ぼくの役割は「人が足りない」という友人知人の手伝いです。それ以上でもそれ以下でもなく、その場所のルールに則って「働く」ことです。いっぽうで、困っている友人を放っておけないという気持ちもむくむくと生まれがち。それは頼まれてはいない契約外のことなんだけど、目の前で誰かが困っている姿を見つけてしまうと、うーんどうしよう、となる。
青鬼の謎
子どもの頃のぼくは鬼たちの物語を、村人と仲良くなってよかったなぁ、でもどうして青鬼は悪者にならなきゃいけないんだろうなぁと思いながら読みました。青鬼は、村人と仲良くなりたい親友のために、どうして嫌われ役を買って出たんだろう。わざわざ暴れてみせる必要はあったのかな。
大人になっていろんな土地でいろんな人と暮らすようになったぼくは、子どもの頃には分からなかった青鬼のことを、ちょっとだけわかるようになりました。
青鬼は旅人。
鬼と人間の生活は、里山を境に別れていて、互いに冒さない場所として境界を守るしきたりがあった。その里山という手の届く所にある憧れが、赤おにを人間社会へと向かわせたのかもしれない。と、鬼と人間の関係を見るようになりました。
そう考えると色々しっくりきます。
役割
赤おには長くここに暮らしたい。許されるのであれば骨を埋めたい。
青鬼は長くは滞在する気はない。時期が来ればこの土地を離れる。
それぞれの生き方と役割を踏まえた上で、二人の鬼は事件を起こした。ところが、青おにが去ったあと、赤おにはうろたえ後悔した。そう、ことの顛末をすべて理解していたのは、青おにだけだった。
青鬼がその土地を離れる時、あっさりとその暮らしを仕舞える。その去り際はとても自然。感慨はないのかと問われれば、もちろん心が引き裂かれる思いであることには違いない。立つ鳥があとを濁さないかといえばそんなきれいごとで終わる話ばかりじゃない。それでも、この土地にやってきたときと同じように、初めから決まっていたかのように前触れもなく姿を消す。
ぼくは青鬼のように、きれいに何かを解決できる力を持っているわけじゃないから、だいたい頭を抱えたり心をぎゅうーっとやられたりしながら、いろいろうまくいかなくても「そういうもんだ」と呼吸を整えることだけは得意になった、はず。
いつでも、ほどほどのところで主張はせずに、どこへ行っても「いいよ」とひとことで始めて、なにもいわずに役を解いて次の場所へと向かう(もちろん、放っておけないという気持ちもむくむくと生まれて口を出してしまうことだってあるんだけど)。そのくらいがちょうどいい。
青鬼の旅は続く
痛い思いをしたり、ぐっと堪えて損をしなくちゃいけなかったり、犠牲になったり、身がわりになったり。きっと青鬼は、そういう終わり方に慣れちゃったので、いい感じの孤独と共に、またどこかで元気にやっているんだろうなぁ。またたびの途中で会えるかもしれないし会えないかもしれないし。
よのなかの縁(ふち)や狭間、陰日向になって生きていたら、少しずつ自分の生き方が見えてきました。それに気づいたのは「役割」の存在でした。あるとき友人がぼくを「居ると思えばいるし、居ないと思えばいない、座敷わらしみたいな人」と紹介してくれたことがありました。
そういうことなんだと思います。
ん?どゆこと?
おしまい!
タイトル画は青鬼。この記事のために色えんぴつで描き下ろしました♪