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原動力


近頃のわたしの仕事のスタイルは、純粋な怒りの感情を持って、仕事に向き合う事が多い。

自分の意思で決める、判断するのは物凄くエネルギーを要する。そしてその、健康的に、活き活きとした、前向きなエネルギーの源が尽きてきた実感のある今日。でも、明日も明後日も仕事、仕事。
そこで、代替のエネルギーとして原動力に変換したのが、怒り。

もちろん、厄介な仕事に出会った、意見の食い違い、上司からの無言の圧などいわゆる「イラっとする」「モヤモヤする」気持ちから生まれる「何者かに対して怒る」気持ちを抱くこともあるけれど、

苛立ちや、羨望や、嫉妬のような小さな炎ではなく、もっとマグマのような沸々とした、また光が突き抜けるような、身体の奥から叫びたくなるような怒りを、エネルギーに変えている。

この怒りの気持ちの、源泉にあるのは何なのだろう?

ライターはガス(燃料)があって、着火スイッチを「カチッ」と押すと火花が生まれ、炎になります。
ガスが溜まっていれば炎は大きくなり、ガスが溜まっていなければ炎は小さくなります。

怒りが生まれるメカニズムも同様です。ライターでいうガスは「マイナス感情や状態」です。
例えば、「健康の心配」「先の見えない不安」「生活リズムが整わない辛さ」等です。

着火スイッチは、「~である‟べき”」という自分の理想や大事にしている価値観です。
例えば、「咳エチケットは守るべき」「体調管理を厳重にするべき」「給料を補償するべき」「テレワークでも規則正しい生活をするべき」等です。その「べき」と現実にギャップがある場合、または「べき」が裏切られる場合、着火スイッチが「カチッ」と押されて火花が生まれます。

炎が「怒り」です。「べき」が裏切られ、火花が生まれ、マイナス感情・状態が多ければ多いほど、怒りは大きく燃え上がります。
つまり、「べき」と「マイナス感情・状態」の両方があれば怒りが発生します。「べき」と「マイナス感情・状態」の両方もしくはどちらかでも減らすと、怒りを小さく、短くすることができます。

ここまで書いて、これを調べて、素直な気持ちとして、自分はこうも意識に支配されていたのだと、驚いてしまう。

自分はこうでありたい、こうでなければならないと、明確な目標や自画像を一生懸命に描き、そのために自分が持つパワーを怒りに変えているのであれば、よっぽど不満を爆発させながら日々を過ごすより心地が良い。

思えば昔から大人の話をよく聞き期待に応えるのが得意(居場所が欲しかった)だったけれど、いつからから自分の中の自分というものが明確に「今はがんばりどき」「多分あと少ししたら波が来る」など心のコンパスが指し示してくれることが増えた。

それと同時に自分の周りの世界も広がり、自分の大きさと世界の大きさを測れなくなっているのが、今。
いつだって快適に頑張ってこられたのに、急に自分のもともとあるチャンネルのエネルギーでは足りなくなってしまった。

だからこそ、幼少の頃から、許せなかった境遇と周囲と、でも周りはその時に精一杯やっていてくれたからこそ封じ込めるしかなかった蓄積された怒り(=上の記事ではガスと書かれている)を、いまエネルギーに変えているのであればなんだか納得が行くなあ、と思う。

この怒りを収めようとは思わないけれど、時々からだが追いつかなくなってくる。

いつか、このエネルギーもなくなり“落ち着く”ときが、きっと過去の悲しい出来事に対して、きちんと過去として手を離すことができた時なのかなと思う。

過去の悲しい出来事や嘆くことしかできなかったことが、私が我慢して封じ込めてきたことが、今ようやく適切な感情の矛先として仕事に打ち込めるエネルギーに変換できるようになったこれこそが、わたしが過去と向き合う準備ができていて、あの時の悲しみや苦しさや周囲の大人全てを受け入れ許すことにつながっているのかもしれない。



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