「連れてってくれてありがとう♡ 」の 違和感
人が人を好きになる。愛とはなにか大学生の頃からじっくり考えた。考えるお供に?自分への問いかけには100以上のブログや恋愛指南書を夢中で読んでいたところ、こちらのブログに助けられ魅了された。新たな価値観や自分が納得する生き方を模索できた。⇩
高校生までは、ただ恋愛に憧れがあった。ただただときめいていた。週に一度、好きな男の子に塾で会える日には、学校帰りに前髪を整えにわざわざ一度お家まで帰って整えてから行っていたほどだ。
大学生になり出逢いも増えて、ときめいた相手だけに盲目になること、「付き合ってください。」ー「はい♡」との流れは自然と減っていった。素敵だなと感じる対象は増え、付き合うとは?好きとは?などと考える力、自分を安売りしない賢さを覚えて以降は付き合わずに二人で出かけることはしながら相手を長期的に知っていくようになった。その過程で、相手へのただの恋愛感情は浮き沈みがあり、冷静にこの人じゃないなと思えたり、自分自身と向き合い自分磨きを頑張れたり人を見抜く力を磨けたりできた気がする。
そんな中で、インスタなどを見ていると恋愛を見せびらかす投稿も目につくようになる。特に、日本では「守りたくなる。可愛い存在」がステレオタイプな可愛い女性、モテる女性、な一面がある気がする。デート写真に添えている言葉は「連れてってくれてありがとう♡」
本当に車を運転をして連れてってくれた素直な感謝には聞こえない。自分をなにもできない可愛い守るべき存在、与えてもらう存在とし、彼氏を何でもできる、頼りになるとたてる。そんな文化に違和感を感じた。
「楽しかったね!ありがとう!」じゃないの?別に”連れてってもらった”わけじゃなくない??自分の意思や足、決定権はそこになかったの?
男女平等!賛成などと言うならば、社会全体を見る前に個と個のデートの関係性から深く考えてみたいと思った。
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