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可愛い守りたくなる女性が絶滅危惧種になっても良いのか

外国に滞在するたびに感じること...自分が可愛いと言いたいわけでは全くないが、日本人の女の子は可愛いと感じる。それは、小柄な体型、前髪のある髪型、丁寧なヘアセット、可愛いめでお上品&清潔清楚な服装、隠すことでうまれる美しさ、仕草や話し方を全てひっくるめてそう感じる。全ての日本人がそうではないがよくいる日本人ってこんな感じではないだろうか?クールビューティーよりも”かわいい”に重きが置かれており価値を感じる文化な気がする。

日本🇯🇵らしいものを表すときに、富士山、桜、こんにちは!で表すことが多いように思うが、”かわいい”こそがザ日本だと私は感じている。

最近の社会の傾向として、男女平等、共働き、生活費も全て割り勘にシフト?比重をもたせる動きに無理やり感を否めない。私自身女性だが外で働くよりも愛する人のためにごはんを丁寧に作ったり、愛情を込めてお家を整理整頓したり「おかえりなさい。」「ありがとう。」とパートナーを毎日迎え癒しを与える役割の方が向いているし、得意な性質を自然にいかせる気がしている。そこを無理やり男らしく体力勝負で仕事に出かけ疲弊して帰宅してパートナーに優しくできない、あたってしまう、すぐに喧嘩していまう…そんな毎日はいやだ。可愛くない自分はいやだ。可愛いは正義だ!笑

男性が外で稼ぎ、女性が「ありがとう。」とごはんをつくり洗濯をし健康面・メンタル面を支え、男性が帰ってきたくなる家を守り育児に専念する。一歩後を男性の支えで歩き互いに愛し合い互いを尊重し大事にする。守り抜く。生物として備わった性質をいかした自然な役回りではないだろうか。

私は女性らしい部分が多い性質で、なかには男らしい女性もいるんだとは思う。平等がいい!働きたい!旦那を養いたい!くらいの人もいるんだろうが、”男女平等🟰性別の特性を無視した無理やりの社会づくり”になっていないだろうか。女性だからと言って男性よりお給料が少ない、働かせてもらえない、理想の職業の枠がないなどは差別だと思うが、男女平等のスローガンに付随し女性が逞しく男性らしく生きるような世の中が推進されすぎることはなんだか違う気がしている。

女性が女性らしく守ってあげたい存在だからこそ子孫繁栄していくものだと思う。社会が時代の流れとともに変わっていくのは必要不可欠、女性が軽んじられるのは是正されるべきだが、何が自然の摂理で大切なことなのか価値観が大きくシフトするのも違う。そもそも日本はすでにわりと男女平等、職業選択の自由が進んでいるのではと車内アナウンスの女性車掌さんの声を聞いたり、街中で凛々しい表情で立っている警察官👮を見たりしたときに思った。アフリカに旅したとき女性のベッドメイキングや朝食運びのスタッフしか見なかったが、日本では賃金同じで男女ともにそのようなお仕事の方がいる。

昔ながらの?あたたかい家庭像。ジェントルマンな男性にスマートにお会計してもらい「いつもありがとう。💋」のような互いに感謝し支え合うロマンティックな世界は残っていてほしい。女性が男性に心を込めてごはんをつくり「美味しい!ありがとう。おかげで頑張れるよ。」な世界。

「お嫁さんにはお金をどんどん使って欲しい。そのために俺は働いているんだから。」と言える男性像、笑顔で旦那さんを「おかえり。」とハグするような癒しの役割の女性像を個人的に私は尊いと思う。

これから先ずっと働いて自分も稼ぐとしても、そんな可愛らしさ・しおらしさはずっと持っていたい。優しく繊細で守りたくなる&愛で旦那さんを包みこむ包容力のある女性になりたい。

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