#12 「君ならできる」と「君でもできる」はだいぶ違う
小学校で教師をしています。
日々の生活や授業の中で、考えたことをnoteで紹介しています。
先日、頭の中で ふと思ったことを紹介したいと思います。
例えば誰かから ほめてもらった時
謙遜して
「いやいや、あなたでもできますよ…」
とつい言ってしまいそうな時がありますが
「これって気を付けないといけない言葉かもしれない」と感じました。
「あなたでも」という言い方は相手の力を、ものすごく「低くみた言い方」だなと思ったのです。
何気ない言葉一文字ですが、人間性がにじみ出てしまいます。
もう少し具体的に考えてみたいと思います。
後輩が「〇〇すごかったですね」みたいな言葉を 自分に言ってくれた場面を想定してみます。
その時返す言葉の候補として、
① 「君ならできるよ」
② 「君にもできるよ」
③ 「君もできるよ」
④ 「君でもできるよ」
といろいろな言い方が考えられそうです(まだいろいろな言い方があると思います。)
①~④の中であれば、①の言い方がよいかなと個人的には感じています。
①の「君ならできるよ」は
「あなたの力は、私以上にありますし、あなたならできます」というニュアンスを込めることができます。
②の「君にもできるよ」はどうでしょうか。
「あなたの力は私と同じくらいです。一緒にやってみましょう」という対等なニュアンスを伝えることができそうです。
③の「君もできるよ」も、②と同じで相手と対等な感じがしますが、
「君にも」の「に」がない③の方が、やや冷たい感じがします。
なぜ冷たい印象になってしまうのか、自分なりに理由を考えてみました。
③の「君もできるよ」の場合は
「君も(〇〇することが)できるよ」
「できること」つまり「行動の再現性」のみ可能性があることを指しているような気がするのです。
一方、②の「君にもできるよ」の場合はどうでしょうか。
やはり「に」がポイントになっているような感じがします。格助詞の「に」は「場所」や「領域」を表す意味もあるので、
「君(の中)にもできる(才能がある)よ」
というより広い解釈もできるからではないかなと感じています。
この「に」を入れることで③よりも②の方がさらに相手の内面も評価している感じがするのかもしれません。
言葉の言い方ひとつで印象が変わります。
しかし相手から、ほめてもらった時は必ず①の「君ならできるよ」を日常的に使っていれば、全てがうまくいくわけではないような気もします。
「君ならできるよ」より
→「君ならきっとできるよ」の方が相手に伝わりそうですし、
→「〇〇さんなら絶対できますよ」
の方がさらに相手への気持ちが伝わりそうです。
また、言葉をきちんと伝えるための「文脈」もポイントになりそうです。
例えば、声の調子、表情、相手との関係、タイミングといった要素で自分が言った言葉の意味が逆になってしまうことだってあります。
褒められていることに対して、自分の評価がイマイチなのに「〇〇すごいですね!」と言われても「君ならできるよ」と素直な気持ちで返せない場合もあります。
ちょっと条件が変わっただけで、言葉の意味や印象が大きく変わってしまう。日本語って難しいなと感じます。
#2でもお話しましたが、私は人と話すことがそんなに得意ではありません(小学校の教師なのに…)
授業や日常生活のなかで、会話する時こんなことばかり考えていると、疲れてしまいそうですが、会話が苦手と自覚しているので、人との会話で後悔しないように、最善の言葉を話すギリギリまで考えるようにしたいと日々思っています。
授業中でも言葉のかけ方ひとつで、子どもたちが45分の授業のやる気を出す時もあれば、逆もあります。
めあてや、子どもたちへ言葉をかける時に考えていることなどもまた別の機会に紹介できたらと思います。
みんなのフォトギャラリーからbokuchibi0501さんの鎌倉のあじさいの写真を使わせていただきました。
本格的に梅雨入りしてきました。体調崩しやすい季節かと思いますので、お体に気をつけてお過ごしください。