7.26 サイレントデモ
重苦しい朝の感じを今でも思い出す。
テレビを付けてみた光景に目を疑った。
神奈川県津久井やまゆり園で起きた、障害者殺傷事件。
事件の概要は書く必要は無いだろう。
ただただ、辛く悲しく、そして悔しい事件だ。
正直にいうと僕はこの事件に対して、ずっと目を背けてきたように思う。
あの日の朝、当時の代表に「テレビ見ましたか」と話、その後の記憶があまりない。
夕方、事件を報じるニュースを見ながら隣の介助者が何を思っているだろうか。
センターの中でも話せない、聞けない状態が続いた。
それだけ、僕らの日常の全てを奪い取るような強烈なショックがあった。
そして事件後、ネットに吹き荒れる優生思想に同調するコメント。
世間の多くの人が、"障害者なんていなくていい"と言っているように感じて僕は心に蓋をした。
日々、重度障害者の地域生活を推進するために活動しているが、真っ向から犯人の主張に対峙できず個人としてもセンターとしても取り組むことができないことで暗澹たる気持ちでいた。
事件のことを考えると身体が硬直してしまう。
自分の感情に蓋をしたまま時がすぎていたのだけれど、ある日ぽろぽろと怒りを帯びてそれが出た時があった。
「障害者をいじめるのやめてくれ」
こうした主張をしたら、すごい数の誹謗中傷を受けた。もっともらしく批判してくるものもあれば、ただ単に懲らしめてやろうという意図のものもあり、精神的に苦痛を受けた。
再び、自分の声に蓋をした。
主張をしたら、家族のことまでも晒される世の中に恐怖と嫌気が差したし、自分たちを守るためにも黙っておくことが賢明だとも感じた。
誹謗中傷と共に、"言い方が悪い"等のトーンポリシングも僕を苦しめた。
何も言えない
言わない方がよい
そう思わざるを得なかった。
そうして迎えた今日。
相模原障害者殺傷事件から5年が経過した日。
僕は静かに、センターの玄関に立った。
30分だけ。
プラカードを持ち、前だけを見つめて、立った。
その少し前にみんなで黙祷を捧げた。
でも、立つのは自分だけにした。
強制ができるものではないし、怖さもある。
僕自身、少し前の炎上を思い出して身体は硬直していた。
19人の尊い命に、想いを重ねた。
どんなに悔しかったか、どんなに辛かったか。
どんなに絶望的だったか。
どんなに生きたかったか。
30分立つことで、得られる効果はどれくらいあるだろう。
道行く人20人くらい。
目が合った人15人ほど。
意味はないかもしれない。
もっと交通量の多い場所で、
大きな声を出せば人目について効果はあるかもしれない。
でも、今の僕にできることは今日という日にただ静かに立つことだけだった。
絶対に忘れてはいけない。
7.26
来年も再来年も立とうと思う。
立ち続けようと思う。