失ったものよりも、残ったものに焦点を
人々は、大切な何かを失くしたとき、
どうしても、どうしても、
失くしたものに焦点がいってしまう。
自然なことではないだろうか。
私が強盗にあったとき、
何よりもショックだったのは、
古い方の携帯で撮っていた数々の想い出たちが、
連れていかれてしまったこと。
「盗まれても良い用に」
ということで、父の部屋の奥底から見つけた携帯、Iphone 6s。
防犯用に持っているだけでもあれなので、ということで
景色や人々との大切な瞬間を、その携帯で納めるようにしていた。
部屋で一息つくときには、携帯のアルバムを漁って、
「あ~そういえばこんなことあったなあ」
とその時のことを、動画と、写真とで思い出す時間が
なんとも暖かくて尊いのだ。
バックアップを取っていたわけでもなかったので、
私が数カ月かけて集めた想い出たちは、
永遠に戻らぬものとなった。
「もう戻らない、二度と同じものは撮れない」
と思うだけですごく悲しい気持ちになった。
取り返しのつかないことになってしまった、と心底思った。
無くなってしまった金銭やブツ(携帯)ではなく、
残った 私のイノチ に焦点を当てたコメントが多く寄せられた。
優しさにくるまれた言葉に対しても、私の腹の虫は収まらなかった。
携帯は戻ってくるよ。お金さえあればね。
でも、その中にあった想い出が戻ってこないじゃん。
素直にそう思った。
考え方がなんともポジティブで、希望に溢れていて、前向きで、明るいのだろう。
ブラジル人の友達Rさんは、
そういう風に考えないとブラジルでは生きていけないんだよ。(笑汗)
と苦笑いしていたけれど。
ポジティブなブラジル人の友達に支えられ、
失ったものしか見えていなかった私が、
残ったものに感謝するようになっていった。
鞄全部盗られなくてよかった。
暴行加えられなくてよかった。
携帯とお金だけで済んでよかった。
大切な友達のお骨が入っている、世界にひとつしかない
ネックレスが盗られなくてよかった。無事で、よかった。
脳の思考回路を180度変えてみたら、
いつのまにか後悔の泥沼から抜け出せていた。
失ってしまったことは悔しいし、
なんともやりきれない気持ちになるけれど、
起こってしまったことに嘆いたって何も変わらない。
でも、過去から学んで、未来の行動に変化をもたらすことはできる。
強盗被害から、人生の物事における考え方を、
周りのブラジル人から学んだ。