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#34...実在証明からの新人のありがたさについて

はじめに

小学生の我が子が図書館でエジソンの伝記(漫画)を借りてきて読んでいた時に、ふと質問してきた。

「エジソンって、本当にいた人なの?」

意外な質問だった。

「今の色々な技術の基礎になるような発明をした人だから、実在してるよ」

と思ったように返事したものの、どうやらそういうことではないらしい。

「この本を書いた人は、実際に会ったことあるの?
 会ったことないのに、何で本が書けるの?
 エジソンの名前は、本当は
 トーマス・アルバ・エジソンらしいけど、
 アルバが付くって本当なの?
 そもそも、本当に存在した人なの?
 想像の人なんじゃないの?
 実在したって証明して!」

おぉ、難易度の高いリクエストだ。

実在するとはどういうことか

自分と近い時代に生きていたということ

我が子にとって、どういう情報があれば実在したと認めるのだろうか。
過去から、人伝えにその人がいたということが現代にまで繋がればいいのか?

「そんなの、教えてくれた人が嘘ついてるかもしれないから」

言わんとすることは分かるものの、性悪説的な考え方を持ち出すと、途端に照明の難易度が上がる。

「ちなみにエジソンは1847〜1931年まで生きてたらしいよ。
 1931年って、昭和らしいよ。
 昭和って聞いたらすごく最近な感じしない?
 『昭和だったら確かにいたっていう人がいてもおかしくないかも』
 って思わない?」

時代が近いことを伝えることで、信じる気持ちになるのでは?という挑戦。

「何となくわかるけど、でも本当にいたのかな?
 これまで、見たことも聞いたこともない人なんだから、
 そんな人がいた、ということはなかなか信じられない。」

手強い。

家系図が作れるということ

「じゃあ、例えばお父さんのおばあちゃんのおばあちゃんって、いるよね?
 でも、あなたはどんな名前でどんな顔の人かは知らない。
 私も知らない。
 でも間違いなく存在しただろうということは分かるよね?
 いなかったら私もあなたもいないんだから。
 だから、見たことも聞いたこともなくても、いたということはあり得るよね?」

「うん。」

「てことは、エジソンの家系図が作れて、今その子孫が同じ時代に生きてたら、
 エジソンがいたって信じられる?」

「う、、、ん、、、。」

最後に

よしよし、と思いつつ、でも結局それも子孫が本当に子孫なのかどうか、どうやって証明するんだ?というところに帰着してしまう。

過去こうだった、ということの証明はとても難しいんだな、ということを改めて理解した。

大人になっていくと、これはこういうもの、という当たり前として何も疑問を持たなくなる。
スマホを見ても、スマホはスマホ。
これはどんな技術が使われて、どんなひとたちが制作に関わってるのかとか、全くわからない。
リスペクトが薄くなっていくのだろう。

改めて新入社員や子供達など、大人の世界に入ってくる人たちから得られる視点を大切にしたいと思った。

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