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若者はお金が欲しくてたまらない、でもその使い方が分からない

20代の私の脳内では、お金 = 圧倒的に足りないモノでした。当時私は不動産会社に勤めており、不動産取引が成立すると、年齢に不相応な大金が入ってきました(給与が歩合制であったため)。
 
しかし、それは一瞬の温かい風のようなもので、契約に至らない月が続くとたちまち「金欠状態」になりました(光熱費の支払いが遅れたことも一度や二度ではありません)。
 
「お金さえあれば全てうまく行くのに・・」
「お金さえあれば全てうまく行くのに・・」

これを何度思ったかしれません。

漠然と1億円位のお金があれば、全ての問題を解決できると思っていました(1億円と念じたのは単にキリのよい数字だったからかもしれません)。唐突なたとえですが、もしもあなたの手元に「1億円」が降って湧いて出たら、あなたはどうしますか?

あなたは望むモノやコトを直ちに購入することができます。家やクルマや、その他大きなモノを気前よく買うことが出来るでしょう。

それとも毎月少しずつ贅沢をして、長い時間をかけてお金を使っていきますか?(もちろん、コレという用い方が決まるまで、お金を銀行に預けておくのもOKです)。

いや、もしかするそのお金(1億円)を手堅く増やしていこう=投資と思われるかもしれません。


私の場合、たとえ1億円があったとしても、自己投資や、証券への投資という選択肢は思い浮かばなかったでしょう。20代の私は「お金さえあれば・・」と、お金にすがる気持ちばかりが強かったためです。
 
20代の私に万一「1億円」が降っていたら、私はクルマを買い替えたでしょう。スナックのツケを払って、スナックに通う頻度が上がっていたと思います。
 
※「スナック」とは?
カウンターの向こうの女性がお酒を注いでくれたり、楽しくお喋りしてくれる場所を指す。
 
また、家賃がもっと高いマンションに引っ越したかもしれません。少しずつ贅沢することを覚え、あらゆる「支出」が境界線を越えて、派手な生活にどっぷり浸っていたと思います。これは「お金=使うもの」というきわめて限定された用途です。
 
自分のポリシーや暮らしに対する規律を持たない私は、消費という欲望の増幅装置に身を任せ、おそらく10年も経たないうちに、1億円を半分くらいに溶かしていたことでしょう。何しろ自分のことですから、手に取るように分かります(笑)
 
 
お金は摩訶不思議なものです。
しかし「定式」が存在します。
 
それは、
 
お金の価値 = お金の保持者 × お金の量 です。

上式に当てはめれば、
「20代のカン・チュンド」×「1億円」= 価値は減っていくのみ。
という解になるでしょう。

20代の自分にお金が降ってこなくて本当に良かったなと思います。
 
 
お金と長く付き合って、たまたま運用相談の仕事をするようになって、私はようやく、さまざまなお金の用い方を体系的にイメージできるようになりました。
 
以下、そのさまざまな「用途」です。
 
1.消費する
2.貯める
3.自己投資する
(たとえば資格を取得する。プログラミング言語を学ぶ。海外に留学する等)。
 
4.商品として貸し出す
(お金を貸して利息を得る。これを生業にすれば5.になります)。
5.ビジネスに用いる
(会社を設立する。設備投資、運転資金等にお金を用いる)。 
6.有価証券等の投資に充てる
株式、債券、、不動産、投資信託などに投資する(一般的に「投資」と呼ばれる行為)。
 
7.社会に還元する(各種団体への寄付等)。
8.個人に贈与する
9.相続させる
 
 
若い頃は視野が狭く、貯める、消費するくらいしかなかなか思い浮かびません。お金の多意性に比べて、知見の乏しさが顕著になってしまうのです。ですので、若いうちは身の丈以上のお金は必要ないというのは本当なのかもしれません。
 
粗野なままに、安易にお金にしがみ付いてしまうと、お金はあなたを翻弄し、個人のポテンシャルを台無しにします。お金はある意味、魔性の力を秘めるのです。
 
 おそろしく長い時間がかかり、ようやくお金の多意性に気付き、少しずつお金の用い方を学んでいく。それくらいのペースがちょうどよいと思います。
 
お金の価値 = お金の保持者 × お金の量

この式を眺めれば、
お金そのものは単なるボリューム(定数)に過ぎず、あまり意味をなさない(あまり力を持たない)ことが分かります。お金の価値を決定づけるのは「お金の保持者」です。保持者こそが「変数」なのです。
 

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